シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今 怖れていること2 見捨てられ不安

今 怖れていること もう一つ。
 
今後、親の世話をしなかったら、自分が老後困った時、誰も助けてくれないんじゃないか?
 
全くばかばかしい不安だと理性では分かっているのです。
 子供がいないので、入院や介護施設入所時の保証人とか、現実的な心配はあります。
 今後は身寄りのないお年寄りが増えていくので、制度が出来てくるはず。
 身内の善意に頼らず人生をまっとうする方法を捜そう、と思っています。
 
この不安は、こういう具体的なことではありません。
 
親を捨てたら、因果応報で罰(自分が見捨てられる)を受けるんじゃないか?
                     ・・・という漠然とした不安がないわけじゃない。でも、小さい。
                        私の親は自分の親の世話はしていません。
                        年に一度見舞いに行くのがせいぜいです。
                        そんな親を見捨てても、罪悪感は小さい。
                        そりの合わない親を優しく介護して看取った親なら
                                               捨てにくいですが。
 
 
突き詰めて考えると、昔の見捨てられ不安の変形です。
 
子供の時は、親の言動がどんなにイヤでも、我慢するしかありませんでした。
他に居場所はないし、逃げても連れ戻されて、余計いやな目に遭うだけ。
逃げ場がないので、親から嘲笑されたり、気持ちを無視され、親の言うとおりにするように圧力をかけられてもじっと我慢していました。
 
生きること・親の保護を得ること=親の理不尽に耐えること でした。
 
親の理不尽に耐えていないと、見捨てられ、今よりもっと惨めになって野垂れ死にする
 
そういう思い込みが、染み付いているようです。
 
で、「もう、親には関わらない」と決めていても、
「生きる場所を確保するには、親がもたらす不快感に耐え続けないといけない。」
という思い込み・居場所を失う恐怖が時々顔を出すようです。
 
 
この思い込みを塗り替えよう。
 親の理不尽に耐えると、調子に乗ったやつらに利用されつくして、惨めな鬱人生になる
 
実際、結婚後付き合いのあった13年。
 年に1回会うかどうか、たまに電話連絡のみ・・・の付き合いだったのに、何をされてきたか思い 出そう!
 自分がACと気付く前から、
    親に会うと苛められるから、会いたくない
 とはっきり思うほど、あれこれやられたではないですか。
 
 「相手は親だから」と親孝行のつもりで我慢した結果がこれでした。
 「相手は親だから」「たまにしか接触しないから」と相手が喜ぶ相槌を打って、調子を合わせて もこれでした。
 今後、彼らの状況はシビアになる一方なのだから、私がじっと我慢して、彼らの好きにさせれ  ば、 ますます意地汚く私を利用し、ストレス解消に嘲笑するでしょう。
 
この変な恐怖がわいてきても、「昔の亡霊に過ぎない」と自分に言い聞かせよう!