シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

この人に無理に分かってもらわなくても

   周りの人に自分を知ってもらいたい、理解してもらいたい、
        プラスに受け止めてもらいたい
 
という気持ちが、これまでかなり強かったみたいです。
 
自分の感覚(感情についても、体調などの五感についても)と親の判定が違う場合は、
親の判定を採用するように強要されて育ちました。
自分の感覚を信じるシステムが自分の中にないことすら気付かずにいました。
自分の感覚が信じられないので、周りの人の評価、反応、判断に頼るしかありませんでした。
周りの人の反応と、自分の期待(自分はこんな人だと思っている内容)が違うと苦しい。
なので、必要以上に必死に自分はこんなです!と言い募っていたようです。
 
 これが少し収まっていました(*^^*)
 
気付いたのは、昨日のパートの時。
10年以上の同僚ですが、殆ど一緒に働いたことはなく、引継ぎの時に5分程度顔を合わせるだけの人がいます。
その人に、世間話の流れの中で、
 
 「これをやっている時は幸せ!っていう趣味があったら、元気にやれるよ。
  (あなたも打ち込める趣味を見つけたら?)」
 
と言われました。
以前なら、大いに反論(?)しました。
 
 ・自分にも、わんこや針仕事という大事な趣味がある。
 
 ・今の私のLOWの原因は、ずーっと風邪が治らないままのような微熱・体調不良の
  しんどさなので、趣味では払拭できない。
    ・・・と言うより、体調不良で趣味に没頭できないのもストレス!
 
昨日は
 
 「そうですね・・・」
 
とにこにこして受け流していました。
 
この人に分かってもらわなくてもいいもん! というすねモードでもなく・・・
 
「普通の元気な人は、”楽しいことやって元気出しなよ”ってなるよな~。
 この人は、好きな芸能人を一生懸命応援して元気もらっているらしいし、
 趣味は大事!って思ってるんだね~。」
 
と、程よい距離を保ちつつ納得していました。
 
それと同時に、この体調不良のストレスを分かってもらいたい!!という気持ちも薄らいでいる事に気付きました。
今までは、「言っても、健康な人にはわかりにくいし、うっとうしがられるだけ」だから言わないでおこう、だったのですが、昨日は、言う気もせず。
 
  この人に無理に分かってもらわなくても、私が知っているからいい
 
                                              こんな感じ。
 
こういう風に、他人の反応に頼る必要が減ってきたのはいいことです。
精神的にとっても楽。
相手が興味を持ってくれたら嬉しいけど、まぁ、そうでなくても、それはそれでよし。
 
分かってもらおうと、無理に「私という家」に招き入れるのではなく、
                  気が向いたらおいでください、でいられたら、楽~~
 
これも回復の一歩かな?
こういう状態が「いつも」になりますように。