自分は冷たいのかな?と思うことがあります。
義母の法事、やってない。
新盆は自宅でやるものと思っていたので、「無理!」が先に立っていまし
た。
今後の法事は、お寺でやらせていただくようにすれば、出来なくもない。
家族と、義母方の親族だけでやればいいし。
ただ、夫にやる気なし。
ちょっと聞いてみると、先日、叔父に、
「仕事辞めて、介護のために田舎に引っ越す人だっていっぱいいる」
と言われたのが引っかかっているらしい。
夫の考え:「思ってもいないことは、非常時でも口から出てこない」
叔父は、私達夫婦が全面的に夫実家の世話をやるべきだと思っているのでし
ょう。
日頃、言わないでいてくれるだけ、ありがたいですが。
法事をやっても、その後の要求はいくらでも出てきます。
法事をやって、法事後の会食をしなかったら、それに文句が出るかも。
命日と、お盆、お彼岸の時くらいは墓参りしろと言われればごもっとも。
(日帰りでも、交通費4万円かかるんですけど・・・?)
夫の本音:
「叔父が愛想付かして絶縁してくれるなら、それはそれで楽だから、構わない」
夫婦してこんな考えなので、親戚づきあい駄目です。
重荷なだけ。
でも、心の交流やメリットがないとこうなっても仕方ない。
冠婚葬祭でしか会うこともなく、何かで助け合うこともない。
子供がいなければ、訪ね合う親戚がいなくても何の不自由もない。
叔父くらい遠縁だと、お互い何かあったときにSOS出し合う関係でもない。
あえて言えば、自分のルーツ(血縁)に触れる機会があるってことくらいでしょうか。
こういう考え方って冷たいのかな・・・。
我が家の場合は仕方ないかも。
夫実家は、はっきり言ってお荷物なだけ。
認知症の義父に、心の病の義姉と義兄。
そのうち倒壊しそうなぼろぼろの実家。
そんな負の遺産しかない。
夫からすると、妻の法事を仕切るべき義父は勝手にボケて、
ずっと同居して面倒みてもらってきた義姉と義兄は心の病で免責。
三人とも本人の責任ではないとは言え、
自分だけどうして矢面にたたなきゃならないのか! というやり場のない憤りが渦巻いているみたいです。
私達に供養の気持ちが欠けている(う~ん、義母に対しては少しはあるので気が咎めるのですが・・・。これが義父の法事なら、喜んで黙殺するでしょう(^^;)ので、しきたりどおりに法事をやるメリットがあまりないです。
親戚づきあい考える時、自分にメリットがあるかだけ考えてしまいます。
まぁ、仕方ないのかな。
そういう時代なのかも。
不必要な罪悪感を持つのはやめよう。
義母には、法事をしないように息子を育ててしまったと諦めてもらおう。
叔父には、自分の兄弟のしつけが悪かったと諦めてもらおう。
自分の子供はこんなじゃなくて良かったと、ご自分の幸せをかみしめていただこう。
でないと、10年後には、叔父も衰えて、文句を言う元気もあるまい、とか、嫌な考えが頭をよぎり始めます(^^;
こういうことは、外野には発言権はあっても、決定権はありません。
実際に、手足を動かし、お金を出す人が決定権を持つのです。
うん、気にしない! 気にしない!!
夫実家のことは、決定権は全面的に夫にあるんだから~
叔父から文句が出たら、「夫が・・・・」と言って誤魔化そう。