この本のネット上の書評に、
「この本を読むと、多くの人がいかに自分が両親に愛されていたか分かるだろう・・・」
という内容が書かれたものがありました。
そうか、多くの人にとっては、自分とは違う世界の壮絶な体験レポートなんですね。
私は共鳴しまくり。
幸い、こんなに程度が酷くなかった、というだけ。
なので、何とか生き延びているし、社会生活送っています。
身なりを整えて学校に行きたいと言っても無視されて、サイズも合わないぼろの服のまま。
姉が1年着た服を、2~3年着せられて、服装・外見にコンプレックスを
持っていた小学校時代と重なります。
学校という閉じた世界で、引け目を感じてすごさなくてはならない苦痛の
大きさは、経験者でないと分からないと思います。
理不尽な扱いを受けても、訴える相手も、甘える相手もいなくて、一人で絶えるしかない日々も・・・
上手く言えないけれど、「うんうん、ああいう感覚だよね」と子供時代に
味わった何とも言えない感覚がまざまざと蘇ってきます。
理不尽が続けば、文句を言ったり、泣いたりするだけ無駄と知って、黙るだけになる・・・
よく「イヤなら、(あるいは)希望があるなら、その時言えばよかったじゃ
ない」と知らない人は言うけど、理不尽があまりに連続すれば、言う気力ど
ろか、「言ってみる」という選択肢すら思い浮かばなくなるんですよ。
勇気を振り絞っていってみたところで、「そんなことを言うなんて、お前は
悪い子だ」と悪者扱いされたり、「そんなの駄目に決まっている」とキッパ
リ拒絶されたりするだけです。そして、ますます沈黙がルールに。
毒親のお望みどおりの”都合の良い子”の出来上がり。
この本に出てくるエピソードの一つ一つに、思わず、「うん、うん、それはつらいよね」とか「こういう気持ちだったんだろうね」と共鳴しながら読んでいます。
ということは、やっぱり、私の経験した子供時代はおかしかった、ということですね。
迷いが出ると、
「単にちょっとお酒が好きで、昔風の男尊女卑の父と、それに仕える母の家庭で育っただけ? ”虐待”は言い過ぎなのかも」
と弱気になってしまうのですが。
いやいや、この本に共鳴している感覚こそ、
今の私が判断のよりどころにするべきもの
次々蘇ってくる、抑圧された時代の息苦しい感じ-健全な家庭で、ごくたまに抑圧を経験しただけでは、こうはなりません。