シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

ママには言えない その3 共鳴

この本のネット上の書評に、
「この本を読むと、多くの人がいかに自分が両親に愛されていたか分かるだろう・・・」
という内容が書かれたものがありました。
そうか、多くの人にとっては、自分とは違う世界の壮絶な体験レポートなんですね。

私は共鳴しまくり。
幸い、こんなに程度が酷くなかった、というだけ。
なので、何とか生き延びているし、社会生活送っています。


身なりを整えて学校に行きたいと言っても無視されて、サイズも合わないぼろの服のまま。

 姉が1年着た服を、2~3年着せられて、服装・外見にコンプレックスを
 持っていた小学校時代と重なります。
 学校という閉じた世界で、引け目を感じてすごさなくてはならない苦痛の
 大きさは、経験者でないと分からないと思います。


理不尽な扱いを受けても、訴える相手も、甘える相手もいなくて、一人で絶えるしかない日々も・・・

 上手く言えないけれど、「うんうん、ああいう感覚だよね」と子供時代に
 味わった何とも言えない感覚がまざまざと蘇ってきます。


理不尽が続けば、文句を言ったり、泣いたりするだけ無駄と知って、黙るだけになる・・・

 よく「イヤなら、(あるいは)希望があるなら、その時言えばよかったじゃ
 ない」と知らない人は言うけど、理不尽があまりに連続すれば、言う気力ど
 ろか、「言ってみる」という選択肢すら思い浮かばなくなるんですよ。
 勇気を振り絞っていってみたところで、「そんなことを言うなんて、お前は
 悪い子だ」と悪者扱いされたり、「そんなの駄目に決まっている」とキッパ
 リ拒絶されたりするだけです。そして、ますます沈黙がルールに。
 毒親のお望みどおりの”都合の良い子”の出来上がり。


この本に出てくるエピソードの一つ一つに、思わず、「うん、うん、それはつらいよね」とか「こういう気持ちだったんだろうね」と共鳴しながら読んでいます。


ということは、やっぱり、私の経験した子供時代はおかしかった、ということですね。

迷いが出ると、
「単にちょっとお酒が好きで、昔風の男尊女卑の父と、それに仕える母の家庭で育っただけ? ”虐待”は言い過ぎなのかも」
と弱気になってしまうのですが。

     いやいや、この本に共鳴している感覚こそ、
     今の私が判断のよりどころにするべきもの
次々蘇ってくる、抑圧された時代の息苦しい感じ-健全な家庭で、ごくたまに抑圧を経験しただけでは、こうはなりません。