シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

仲間と話すことの意味

人それぞれ違うので、奥深いところまで共感しあうことは出来ないな、とこれまでの経験で思うのですが、それでも表面的なことを「そうよね~!」と語り合えると気持ちが軽くなります。
その辺の微妙な距離感をまだうまくつかめずにいます。

子犬のいたずらでも、わんこを飼ったことがない人より、経験がある人と話す方が、「そうそう、色々やるよね~」の”色々”だとか、その時の翻弄されっぷりなどが共有できる気がして、ほっとします。
具体的に話し始めると、何をされて困ったか、どう対処したかなどはそれぞれ全く違うのですが。

先日のパートでは、朝の掃除をしながら、同じ2年目の人(といっても、相手は社員さん)から、「ベテランの人が阿吽の呼吸で分かり合っている前提(例えば、在宅のAさんのお人柄がどうだとか、別店舗同僚のBさんがこう言った時は、こういう本音だとか…そういう言語外前提な情報)が分からないから、戸惑うし、ストレスになる」という話が出て、「やっぱり同じように感じるんだな~」とほっとしました。何も解決にはならないのですが。少なくとも、自分の感覚はおかしくない、2年目でこういう風に感じるのはよくあることのようだから、大丈夫、と思えるからでしょう。


私から見ると、コミュニケーションを楽しんでいる人たちは、こういう風に、さらっと共感しあって心を軽くする方法に特に疑問もなく馴染んでいて、自分と波長の合いそうな人とうまくやり取りできる頻度が高いんだろうな~。
気の合う人とのやり取りはこういう空気感が当たり前なのかも。だから、身構えないし、嫌じゃないし、楽しめる・・・?
聞いてみたいです。日ごろ意識していないでしょうから、急に聞かれても、言語化してくれる人は少ないかもしれませんが。