シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

鬱屈精神科医、お祓いを試みる 春日武彦著

このシリーズ(?)の前著 「鬱屈精神科医、占いにすがる」が面白かったので、読んでみました。
私の偏見ですが、受け狙いでも、特別感演出の歪んだやり方でもなく、男性が他人から情けなく見られてしまいそうな己の内面を語っているのは珍しい気がして、興味をそそられます。

今回は「お祓い」らしいから、神社巡りでも始めるのかな? と思ったら、両親が残した家を親の遺産でリノベーションして全く違う家にして住むことで、己の救済を試みるという内容でした。
私だったら、親の残留思念がありそうな場所に住もうなんて全く考えませんから、著者は特に母親には複雑な感情があるそうですが、根の部分では親が好きなんだろうな…と解釈しました。
まぁ、親子関係のやり残し部分を何とかしたいとか、そういう必要に迫られてなのかもしれませんが。


著者は精神科医として精神病患者の家や部屋を訪ねることがあり、
「家の中の光景と頭蓋の内部の風景とは似通った空気感を孕んでいることは間違いない。」
と感じるのだそうです。
夫実家は義父の設計で、廊下のない変な家です。
私は上がったことがありませんが、2階もそうで、奥の部屋で寝ている人は、手前の義姉の寝室を通らないと外に出られない(トイレにも行けない)間取りだとか。
夫も、「ああいう家を作る時点で、父親が病んでいることがよく分かる」と常々言っていますが、著者のこの言葉に”やっぱりそうなんだな~”と思いました。

他に興味をひいたのは、
 おかしなことを言うようだが、人は人生の重要な分岐点においてすら「何となく億劫で面倒」というただそれだけの理由で不幸のほうの選択肢を選んでしまうことがないだろうか。
というくだり。
著者が、日頃は患者や患者の家族に自分の住所などは絶対に教えないのに、なぜだか教えてしまって、ずっとその患者から手紙が来る話の中で出てきました。
断るのが「何となく億劫で面倒」で、つい教えてしまったそうです。

私は、好きなブロガーさんがよく言っている「己のリソースは有限で、枯渇すると変な決断をしたり、考えずに流されたりする」という考えに共感して、気を付けるようにしているのですが、己のキャパを超えた時に決断を迫られると「何となく億劫で面倒」で、変なことをしてしまうんだろうな~。
・・・大抵、その”変なことをしている”時には気づきもせずに。


この本も楽しく読みました。
何が楽しかったかうまく言えませんが。
リノベーションした家に何年も住んで、著者の言う「お祓い」が完了したのか、興味があります。

私も何か親の呪縛から自由になる「儀式」を思いつくといいんですけど。
まずは、頭蓋の内部の風景が外に表れている我が家の風景を何とかするところからかな~。