時系列ではこんな感じ
父親に対しては大学生の時から、ねじれの関係(どうやっても交差しない)だと感じていました。
父親には、カスな男と付き合うだろうと思っていたと侮辱されたな。
就職して体調を崩し、SOSを出したけど、親には嘲られて終わり、でした。
見かねた彼氏(現夫)が引き取ってくれたので、何とか生き延びることが出来ました。
結婚するときには、母親には甘えん坊の末っ子同士で結婚してもうまく行かんわ!と嘲られました。
結婚後、親に対する違和感・嫌悪感が徐々にはっきりしてきて、会うことが決まると一か月以上前から具合が悪くなりました。
決定打は兄と親の絶縁。
この時の親(特に母親)の言い分がとてもイケていて、「この人、ダメだわ」とはっきり認識しました。
どうやら過去のこと(兄が子供の時のこと)も言われたらしいのですが、
・子育てに一生懸命だった (だから、何をしてもいいと? 子どもが我慢せよ、ってこと?)
・時効だ
・忘れた
・批判されたくないなら、耳に入れなければいい
・「自分の育てた子供を信じて、少し様子を見たら?」と私が言ったら、「信じられん」
・嫁に離婚されるよ!と吐き捨て…私には、離婚されて不幸になってしまえと聞こえました
兄との仲がこじれてから、私への奴隷扱いが酷くなり、私も切れて、徐々に距離を取りました。
電話に出ない、会わない、手紙に返事をしない、プレゼントを贈らない、年賀状を止める…などなど。
距離を取り始めて数年経って、震災がありました。
生きていると連絡したら、もとの関係に戻ったと解釈したらしく、数日後か一週間後かには電話をしてきて、がっくり来ました。やっぱり、私の決意は何も伝わっていない、と。
その後も能天気な旅行の報告やら、入院する知らせやらを送ってきましたが無視。
無視も通じないので、受け取り拒否をしたら、「親の老後をどうするつもりなのか知らせろ」と言ってきました。これに応じて電話で話し、絶縁。
したはずが、ちょうど1年後に親族の葬儀で会ったら、「絶縁」はなかった振る舞いをされ、私の気持ちは完全に切れました。
もう、あの人たちの葬式に行く気もありません。
親族や、福祉関係者に何か言われたら、「私は親不孝者の人でなしですから、何もしません。」と言うつもり。
今の後悔は、今年の親からの年賀状を破り捨てたこと。
受け取り拒否して送り返せばよかった! 痛恨です。
来年はやるぞ!と、やる気に満ちています。
そんなことで、私が嫌っていること、私の絶縁の覚悟を受け止める人たちではありませんが、私自身のけじめとして、出来ることはやるのです。
何をやっても、言っても通じないので、うんざりしつくして、私の人生から消えてくれないかな~(彼らの場合だと、永遠に会えない場所に行ってくれと同意になります)と思っています。
こうして絶縁関係にすっかりなじんで納得しているのに、気持ちが落ちたりするのはなんでかな~。
今、自分を励ます言葉にしているのがこちら(ロシア人の女性作家さんの言葉)
収容所から出ても、
翌日から自由になれるわけではない
仕方ない。ゆるゆる行こう。大丈夫。何とかここにたどり着いたんだから、次の場所にも行けるはず。
ネットを見ると、仲間が大勢いることが分かってすごく励まされます。