シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

最初から自分に✖をつけている

以前から分かってはいましたが、働き始めて再確認。
私は完璧主義でもありますが、それ以前に、最初から自分に✖つけてるんですよね…。
完璧主義だけだったら、あることを完璧にこなせたら、そのことについてだけは〇をつけられるはずなのですが、それも余程意識して自分に言い聞かせないと出来ないな~、いや、言い聞かせても出来てないんじゃないの? と感じます。

今の仕事では、「調剤ミスをしない」が「完璧かどうか」を判断しやすい項目ですが、これがその日のシフトで出来ても、「あぁ、良かった。うん、今日はOKだ。」はせいぜい気持ちの2~3割で、7割は「それが当然だから。」になっています。で、「○○が出来ていない、△を知らない」…と自分へのダメ出しが続きます。点数つけたらマイナス。勝手に自滅。

前から自覚はしていて、何とかしたいな~と思っているのに、なかなかなりません。

人間にはミスはつきもの
全てを知ることは出来ない(”知るべきこと”が多すぎるから)
今はネットやパソコンが”情報の蓄積”は代わりにやってくれるから、”使いどころ察知能力”を磨く方が大事…それは経験で多少は身についていると自分でも思う
色々な人がいていい…自分がイメージする”完璧に有能な人”になる必要はない…そういう人にたとえなれても、客と店員という限られた関係でも、万人に受け入れられる人にはなれない

こういうことを自分に言い聞かせるのですが、今のところ効果は薄いです。

最低70点、出来れば80点以上でないと「ここにいていいのかも」と思えないのも、自分の首を絞めているよな~と自覚はあるものの、今のところ対応策は浮かびません。
「ここにいてもいいんだ、私はそこそこちゃんとやれている」と思えるには、95点以上じゃないとダメな感じです。仕事でこのレベルはとても無理!なので、ずっと「居場所がない感」に付きまとわれるようです。

こういう自分になった原因は、「親の態度」。
いつもではなかったものの、彼らは最初から私に×をつけて、私を嘲ることで自分をあげることを目的に接してくることが日常茶飯事だったものなぁ。
頑張って成果を出しても、自分自身が受け入れてもらえたとか、自分の気持ちに共感してもらえたとか感じたことがどれだけあったのか・・・?
あったはずなのに、今ではあまり思い出せません。あったはずと思いたいだけなのか、親のイメージが悪くなりすぎて”忘れてしまった”のかも分かりません。
父親からは全くなかったです。そういう能力の欠けた人だから。


もうしばらくはゆるゆると「職場に身を置く実験」を続けるしかないかな。
そもそもそういう目的で働き始めたのだし。

そうは言っても、存在に×をつけられている(×が付いている)感覚を持ちながら過ごすのはしんどいです。
実際に私に×をつけている人は職場にはおらず、ある種の妄想・亡霊だから更に面倒です。