シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「もっと家事をやれ」に受け取ってしまったこと

先日ネットニュースで、合わせ調味料の類:醤油より「だし醤油」、「穀物酢」より「かんたん酢」が売れる時代になっている、とありました。

生活史研究家の阿古真理さんは「合わせ調味料や半調理品が増えるのは時代の必然」としながらも、「気になるのは、自分や家族の食卓にとって本当に必要なものは何かを見失いがちではないかということ」と懸念する。

 自分たちの健康のために必要なものは何か。原点となる好きな味は。それは、日々の食卓で培うことが基本だろう。例えば、作るのが面倒な料理はイベントとして外食で楽しむ。そして普段は簡便な調味料を上手に使いつつ、時間の余裕がある時には基礎調味料でていねいに作る。自分たちなりの工夫で、地に足のついた食卓を作ることが求められる。「食のバリエーションが豊富過ぎる今、料理を断捨離する必要があるかもしれません」と阿古さんは話す。

何だかな~、勘弁してよ、と思いました。
どうして、「今の売れ筋商品についてのニュース」にこういう価値観の押し付けとも受け取られかねない記述をくっつけるんだろう。
コメントしている阿古さんの考えに反対!なのではないです。念のため。大筋はその通りだと思います。食は大事なので、好みや我が家のスタイルを自覚するのは生活の質を上げると思います。

編集のやり方なのか、「本当は手間をかけて自分で調味料を調合して作るのが理想・本来の在り様だけど、今の時代は合わせ調味料も仕方ないよね。それを踏まえたうえで・・・」な論の流れが気に入らないのです。

言外の価値観が、「私は手抜き主婦」という劣等感を産むから、好きじゃないです。

旦那さんが単身赴任で、働きながらワンオペで3人の小学生を育てている友人の言葉を思い出します。
「とにかく子供を飢えさせず、事故に遭わせず、死なせないこと!他には構っていられない」
もう、「我が家の味付け」なんて夢物語の現実の中にいる人も多いのにな~
変な価値観前提の話を聞きたくないな~   が私の感想です。

100年前、200年前の庶民がそんなに手間暇かけて料理を日々やっていたか? というと、NO!だと思うのです。
欧米の農家では作業に出る前に大鍋に・・・乱暴な言い方をすれば、切った材料をぶち込んで火にかけておいて、帰宅したら煮えているから、それを食べていたって聞くし、「パンを焼く日」は決まっていて、週に1,2回だったとか・・・そうやって省力化しないと庶民の生活は成り立たなかったらしいです。
日本でも似たようなものだったんじゃなかろうか?
そもそも貧しくて、手に入る食材の種類も限られていただろうし。

「向上するのが良いこと、望ましいこと」-この話では、「食」「我が家の味」に関心を持って、工夫する気持ちを持つこと

「家事や育児に手間をかけるのが良いこと」-「地に足の着いた食卓を作ることがよい」という価値観。そもそも”地に足の着いた食卓”って何?  もう、やめてほしい・・・

こういうのが、幼稚園などで「保護者手作りの袋のものを持たせてください」とか、「手作り弁当じゃないとだめ」とかになって、苦しむ人が増えるのになぁ。

勝手に私が止めればいいんですけど(既に止めていますが)、空気感といいますか、世に流布する息苦しい価値観で、窒息しそうになるのは私だけなんだろうか・・と思うわけです。