シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「命に責任を持つ」の範囲

犬猫を飼う時(ほかのペットももちろんそうですが)、「責任をもって終生飼養を」と言うけれど、世話の仕方は本当に人それぞれ。
「その人の自由裁量」の部分と、「飼い主の責任=義務」の部分があると思うのですが、私から見ると、何だかな~を通り越して、虐待だと思うこともよく見聞きします。
じゃあ、基準をはっきり示せるのかと言われると、難しいのですが、私個人は、「家族の一人として」「自分がしてほしいように」という陳腐な表現になります。・・・家族メンバー間の平等な待遇が基本の家庭を前提で。
自分のことはすごく大事にして手間もお金もかけるのに、ペットにかけるのを惜しむ人、そもそもかける気もない人は嫌いです。
そういう人には飼ってほしくない。


自分は定期的に検診を受けて、考えうる限りの医療サービスを受けているのに、丁重に世話・介護されて当然と思っているのに、ペットには「自然治癒力が備わっているから大丈夫」などと意味不明の屁理屈で放置する人が時々います。
人間にも自然治癒力は備わっているので、こういう人には医療は必要ないでしょ、と思ってしまいます。

逆に、「自然でいいんだよ」と症状が出ないと受診しない人が、「うちはこういう方針だからね」とペットも症状がなければ病院に連れて行かないとしても、「それはこの人の価値観なんだね。」で納得できます。
(誰も私の納得など必要としていないことは分かっていますが、敢えて言わせていただこう)

その場になれば、「見捨てられた状態で死にたい」人はほとんどいないんじゃなかろうか。
周りに人がいないなら、それはそれで腹をくくれるでしょうが、周りに人がいるのに、その人たちには無視され、放置されて”まだ生きているよ・・・”と思われている感じに満ちた状態だと、やっぱりみじめだよな・・・。
自分がそういう状況が嫌なら、可能な範囲でわんこ・にゃんこの側にいる時間を増やして、見送ってほしい。

私の親は、自分たちが私が子供の時に与えなかったもの(思いやり、気づかいなど)を、厚かましくも要求してきます。それが気に入らないので、同じことをペットにする人も許せないのだと思います。
個人的な恨み噴出だよな~と自覚した上で、
自分がされて嫌なことを他者にしてはいけません」という基本は、時代が変わっても「基本」だと思うのです。