シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

断捨離と喪失感

あまり思い入れがないと思っているものでも、捨てるには精神エネルギーが要ります。
些細なお別れでも、喪失には違いない。

わんこが旅立ってしまって、
 わんこ本人がいないのはもちろん、
 わんこ中心に回っていた私の生活も無くなり(変化を余儀なくされ)、
 愛情を注ぐ対象を失い、
 散歩などで自然と会っていた人とも会わなくなり、
 唯一好きだった自分(わんこの世話には一生懸命で、”自分が寂しいから”、
  ”自分が親と同じことをしていると思いたくないから”などの下心があったにせよ、
  下心よりわんこの気持ちを優先して接することは出来た(と自分で思えていた))で
   いられる時間がなくなった・・・

色々なものを失いました。


物を捨てる時も似たものがあるな、と思う。
特にお気に入りの物、思い出の品は自分の過去も一緒に捨てる気分になってしまいます。
さほどでなくても、持っていることを忘れていたものでも、選別の時に目にしただけで、それを買った時や当時のことを思い出すので、何だか自分の歴史の一部とさよならする気分になります。

こういうサヨナラの最終形は言うまでもなく、「自分の死」です。
死は片道切符。
慣れ親しんだ人や自然、社会システムなど全てとさよならです。

喪失関係の本を読んでいると、大切な人や物事との別れは、この最期の別れの練習でもある、と書かれていることがありますが、日々のささやかな断捨離も、この系列の一つだな…と思う今日この頃。

練習しておけば上手になる、とも違うな~ と思います。
が、人生終盤になるほど喪失が多くなるのが現実です。
死別する人が増えるし、自分の容色や健康も徐々に失われていき、生活も体力や経済力に合わせて縮小傾向になり、段々己の終焉を意識するときが増えていくんだろうな~。

だからせめて、物との別れ位は今のうちにあらかた済ませて、ただでさえ喪失の多くなる時期に、物と向き合わなくていいようにしておきたいな~と思うのでした。
限りある精神エネルギーを上手に使って、乗り切りたいものです。