シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

絵の力

とある女性日本画家の絵をTVで見て、
 
  あぁ、親を切っていいんだ
 
と心が納得しました。
 
男性社会で女性として生まれ、女性として生きること・・・抑圧や、苦しみなどをテーマに描いているそうです。
 
番組で紹介された作品の中で、私がシンクロしたのは、けものに襲われて、腕や背中の血肉があらわになりつつも、逃げている女性の絵でした。
女性に襲いかかっている鳥や獣は、お仕着せの価値観や、しつこく付きまとってくる親の呪いのように見えました。
 
この女性が私だとすると、私の親は、襲い掛かる獣ですらなく、着飾って、静かに微笑みながら、私を見ている傍観者なんだろうな。(絵には描かれていませんでしたが)
彼らの目には、私は生きながら肉を食われて、逃げている姿ではなく、自分たちの好みの衣装で着飾り、自分たちのそばに静かに控えているように見えているんだろうな。
 
現実を見ずに、自分たちが見たいようにしか見ない人たちだから。
 
 
なぜ急にストンと腑に落ちたのか分かりません。
 
「自分はこんな風にずっと苦しかったんだ。
それなのに、自分に都合のいい虚像だけを見ている人たちの気持ちを考える必要は全くないんだ。さよならでいいんだ。」
静かに納得している自分がいます。
 
これまで、たとえば「親と縁を切る」と考えたとき、真っ先に浮かぶのは親の考え、親が感じることでした。
「理由が分からないから、不安な厭な気持がするんだろうな。」とか。
そのあとで、「いや、自分がどんな思いでこれまでいたかを思えば、自分を守るために、”距離を取る”は必然だ。」と自分を説得していました。
自分を説得するには、親への怒りも必要でした。
 
今は、親とは縁を切る、が、基本状態になった気がします。
だから、いちいち意識しなくても、そうできるし、
他の考えが頭をよぎっても、大きくは動揺しない。
 
この絵のおかげで、最初に、自分が抱えてきた苦しさが浮かぶようになったからなのでしょう。
 
「絵」という形で、自分の内面を外側から見ることが出来ました。
いつも内側から見ていた自分の苦しさを、外側から見ることで、自分の抱えてきたものの大きさと、親の呪い(どんな理不尽でも親の意向に沿うこと、という無意識に埋め込まれた命令)をはかりにかけることが出来たのでしょう。
 
 
この納得感が持続するように祈るばかりです。