シンプルライフへの遠い道

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赦しについて

私には大きなテーマ「赦し」
今回も、数日じっくり考えて、「親を赦せないし、赦さなくていい。」に辿り着きました。
 
キリスト教では、「悔い、改めれば、どんな罪も許される」そうですが、神でもない私が、悔いてもいない人たちを許すことは出来ません。
 
親を許したら、表面的な付き合いはしなくちゃいけない?
 と、赦しと付き合いをセットで考えている自分にも気づいています。
 
別々に考えるなら、「あれがあの人たちの精一杯」と理解し、諦めとともに現実を受け入れた時点で、赦したことになるのかもしれません。
でも、「許したけど、絶縁します。」も変な気もします。
 
 
そもそも、「毒親を許しましょう」という意見自体がおかしいと思います。
親には恩があるとか、親子は仲良くとか、そういう呪縛が社会を汚染している気がします。
 
 
たとえば、
 「近所に苦手な人がいます。何かにつけて、あらを見つけては私をバカにして嘲笑います。
  私はこの人と付き合いたくないので、極力接触を避けています。」
と言う人に、
 「そのご近所さんには、ご近所さんの事情があるのだろうから、許してあげなさい。」
というアドバイスをしているのを、見たことがありません。
 
 「そういう人とは、極力距離を取って、トラブルを避けましょう。」 が一番多いアドバイスでは?
 
 
「私の都合を無視して、自分の希望だけゴリ押ししてくる友人がいます。
 断っても、しつこく誘ってくるので困っています。」
と言う人に、
 「そのお友達は寂しいのでは? 心を広く持って付き合ってあげなよ。」 とアドバイスする人はほとんどいないでしょう。
 
 「自分には自分の都合があることをはっきり言って、それが通じないなら、友達をやめることを考えてもいいのでは?」 となるのではないかな?
 
 
モラハラについてちゃんとわかっている人なら、「モラハラ夫」との離婚を推奨しても、「夫を許してあげましょう」とは言わないでしょう?
それどころか、「謝ってもそれはその時だけで、モラハラ再燃の危険性が高いので、判断は慎重に」だよね・・・。
 
パワハラ上司に耐えられず、転職した人を、「上司を見捨てた人でなし」と責める人がいるでしょうか?
 
それなのに、「毒親を許すことはあなた自身の救いにもつながります。」という意見は、ゆがんでいる気がします。
親を嫌うことをタブーとする価値観が、厳然とあるんだな、と思います。
 
親には育ててもらったとか、「親の恩」を持ち出すことがありますが、パワハラ上司でも、嫌いな知人でも、何か自分の為にしてくれたり、ほっとする一言をかけてくれたりしたことが全くない人の方が少ないのではないでしょうか。
そういう意味では、みんな「お世話になった人」と言えるし、
 上司が部下の世話をするのは業務範囲内 だったり、
 友人と出来る範囲で助け合うのは、暗黙の了解 だったり、100%相手の善意でもない。
 
親だけ特別枠で考えるから、私は苦しくなるようです。
 
 
 
自分が嫌いな人だろうが、モラハラ夫だろうが、毒親だろうが、結果的に許せたら、それは、自分の魂の安らぎになると思います。
でも、それは、結果としてついてくるもの。
「赦し」に辿り着いたかどうかで、その人が問題とうまく向き合えたかどうか判断するものではないよな・・・。
 
自分の親とは、どう考えても終わっているので、このまま絶縁志向で行こうと思います。
赦せない自分を許そう。
 
年賀状も出さないことにしたし、今後会いたいなど誘いが来ても返事をしないことにしています。
反応を返すと、また懲りずに何か言ってくるリスクが高くなるので。
無視し続ければ、向うが爆発して絶縁宣言してくれるか(大歓迎!)、虚しくなって何も言ってこなくなるかにならないかな~と期待しています。
 
今後は、「親を許しましょう」という意見に動揺しない強い自分になりたいです。