シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

私の求める”やさしさ”

自分がやさしくされたいと思うのは、厚かましい要求なのかな? 
  という不安や引け目をずーっと感じていました。
 
これも、親の呪いです。
自分が対応するのが面倒なことは、わがままだとか、そういうことを思う事自体がおかしいとか非難するか、黙殺するか、嘲笑するかの親たちですから。
 
今の私は、周りの人に、どういう風に優しくされたいと思っているのかな? と考えてみました。
 
・私が助けを求めた時は、快く応じてもらえたら嬉しい。
 断る場合も、「無理な依頼をするあなたが悪い」じゃなくて、「悪いけど、お役に立てないわ」と
 断って欲しい。
 
・嬉しいことを報告したら、「良かったね~」と相槌を打ってもらいたいし、
 哀しいことや辛いことを話したら、「大変だったね。」と慰めて欲しい。
    相手が私の振った話題に興味がないなら、その一言でスルーされても、
    別に落ち込んだりはしません。
    相手は礼儀上、差しさわりのない言葉を返しただけかもしれないけど、
    一度は私の言葉(気持ち)を受け止めてもらえたと感じることが出来たら、
    それで十分なのです。
 
この程度のことでした。
身近な人たちを観察していても、みんな私と同じだね、という程度。
親が言うように、「そんな事をして欲しいと思うなんて厚かましい。わがままだ。」ってことではない。
私の親のように、底意地の悪いことを言ったり、馬鹿にしてあざ笑う人は、嫌われて話の輪に入れてもらえなくなっていきます。
 
 
そうか、私が望む優しさは、過大な要求でも何でもないんだ・・・
 
やっぱり、私の親がおかしいんだ。
嬉しいことを話して、「調子に乗るんじゃない」なんて言われたい人はいないし、
哀しいこと、辛いことを話して、「大したことじゃないでしょ。」とあしらわれたい人なんていない。
 
興味がなければ、「そうなんだ~」とあやふやな相槌でスルーすればいいことまで、いちいち取り上げて非難して相手を傷つけておきながら、自分たちは優しくされたい、気にかけてほしい、話を聞いてほしいを全開なのがおかしいのです。
 
自分の希望がおかしいんじゃないと分かったので、
この件も、「ありのままの自分でいいんだ」と思うように努力していくことにします。