シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

タフラブという快刀 信田さよ子著

この本のメインは、「タフラブ
問題を切り分け、他人の領域にお互い入り込まない関係 が推奨されています。
(でも、見捨てるわけではなく、見守っている状態)
本にあった例は、ギャンブル依存で借金作った子供がいる場合。
 ・ギャンブルをやめるかどうかは子どもの問題
 ・子どもの作った借金をどうするか(肩代わりしてやるのか、放置するのか)は親の問題
親が、子どもにギャンブルをやめさせようとあれこれやるからこじれる、というスタンスです。私もこの考えには賛成です。
 
「自分のやったことの結果は、自分で引き受けるしかない。」
 
問題の切り分けは、私の親子関係で言えば、
「親との付き合いが苦痛だから、どう対策をとるか」は私の問題。
「娘(私)が距離を取って会おうともしなくなったことにどう対処するか」は親の問題。
私が絶縁を選んだこと自体に親が文句を言う権利はないし、
私が離れて親が寂しいかどうかまで私が考えるのは越権行為。どうするかは親の問題。
 
 
夫とは幸い自然に「タフラブ」状態になっているようです。
お互い頑固で干渉を嫌うので、けんか防止に相手の領域には踏み込まなくなりました。
 
「最近お腹が出てきているよな~」と思っても、
   「太った? (ダイエットしないとね。)」などとはお互いに決して言わない。
体重・健康管理は各自の領域だから。
ただ、目の毒だからお菓子を買うのはやめて、と言われれば協力します。
 
わんこのことも、夫は気付いたことがあれば言うけど、決定権は私。
病院に連れて行くのか、ダイエットさせるのか、今はかまってやらず我慢させるのか・・・など決めるのは私。
わんこの健康や安全に関わることでなければ、私の決定に夫は口を出しません。
その代わり、わんこの世話は私の責任。夫は”手伝い”です。
 
 
親しい友達にも、干渉しない努力をしています。
口出ししないから、居心地が良いといってもらえたことがあります*^-^*
つい、おせっかいで、(親切心で?)、あれこれ言いたくなるのですが・・・
情報提供にとどめるとか、
こういう選択肢もあるよね~ と、相手がプレッシャーを感じないでくれるといいな、と言い方に気をつける努力をしています。常に気をつけていないと難しいです。
(相手が嫌がっていたらどうしよう(--;)
これは相手の役に立つかも?という情報を持っているのに、
完全に黙っているのもどうかと思うし、
押し付けになるのはいやだし、バランスが難しいです。
ちょっと言ってみて、相手が乗ってこなかったら、スルーする、かな?
現実はイメージどおりには出来ないけれど、このスタンスがあれば少しはましにかな、と思っています。
 
 
この本では、人の使い分けも推奨。
集中すると、相手にも負担になり、こじれる原因だからだそうです。
 
私の場合は、
 わんこの話は、近所のわんこ仲間や馴染みの獣医さん
 手芸の話は、ブログの仲間や教室の仲間
 毒親のことは、この話を受け入れてくれている数人の友達
 ご近所情報や、お付き合いのノウハウなどの情報収集は、パート先の同僚
               (先輩主婦が多いので、聞くとあれこれ教えてもらえます。)
 
 話題ごとに自然に分けています。
 薄い付き合いのほうが気楽だし、どうしても力を貸してもらいたい時も、
 「まぁ、めったにないことだし、この人は調子に乗って次々頼んでは来ないだろう。」と引き受けてもらえる気がします。
 べったりタイプだと、「一度引き受けたら、ずるずる便利屋扱いになるんじゃないか」と
 警戒される気がします。(私は警戒して断ります)
 
私には、今くらいの薄い付き合いが気楽でいいです。
近づきすぎると、相手の要求を優先しすぎる悪い癖が出て自滅するので。
でも、これじゃあ、「本当の友達」とか、「何でも話せる人」って出来ないよな・・・と欠点かな?と思うときもありましたが、これが私のスタイルなら、それでいいんですね。
 
夫や他人にはこうして一定の距離を取って付き合えるのに、
どうして親には私の領域に踏み込まれても我慢するしかない、と思っていたのか。
これこそが、赤ちゃんの時からの親の刷り込み・洗脳の力なのでしょうね。
ばかばかしいこの思い込みも、自分がACと気付いて、親子関係の問題点を考えるまでは、「当たり前のこと」として受け入れていました。
思い込みが少しずつ取れて、生きるのが楽になってきた気がします。
 
 
この「タフラブ」が「普通」になれば、新たにACになってしまう人も減るんじゃないかと思います。