もう彼らのことは、神様にお返ししよう・・・
になって二日近くたちました。
不思議と気持ちは落ち着いています。
相変わらず、彼らのことを考えてしまうのですが、
どう考えても、理不尽な反応しか想像できないのですが、
気持ちに波は立たず・・・
距離を取ることを決めて、実行中なので、最近の心配は、
「彼らが衰えた時のもろもろのトラブルが降りかかるんじゃないか」
でした。
・入院した時の見舞いや世話は?
・衰えた時の福祉サービスの手続き、施設の申込み
・葬儀はせず、直葬にするにしても、出向いて死亡届を出したり、
火葬・彼らが購入済みの墓にお骨を入れるくらいはしなきゃならない
・遺品の整理、実家の始末はどうするのか?
夫実家のことで、これらの一つ一つが面倒で大変なことが分かっているだけに、
「奴らのために、動かなきゃならないのか?」
とうんざり。
でも、今は、もうどうでもいいです。
その時の自分の考えてやればいい。(動く気はないです)
私が全く動かなかったらどうなるのか?と考えることもありません。
なるようになるのです。
実家は腐り落ちて、近所迷惑なゴミ屋敷になるかもしれないし、
家族がそっぽを向けば、ボケ老人夫婦、路頭に迷うかもしれない。
福祉の担当者に迷惑がかかるかもしれない。
でも、どうでもいいです。
夫が自分の実家を「どうでもいい」って言っているのは、こういう感覚だったんだなぁ。
街路樹の枯葉が、どこに飛ばされていくかまで、心配はしません。
よその家に飛んでいって、迷惑かけるかな?まで考えません。
迷惑かけないように、自分がその枯葉の始末をしなくちゃ、とも思いません。
枯葉は、枯葉の運命に従って、行くところまで旅を続けるんだろう。
私とは、全く関係なく。
(今、私がこの枯葉を目にしている、という関わりだけはあるけれど)
親のことも、こんな感覚で捉えています。
兄との絶縁について父が書いてきた書類を見返しました。
「今後の家族会議のために、この書類は取って置いてください」
と書いてある。
つまり、自分が息子の転職に口を出して、
息子が「自分の人生に干渉するな」と言って、去っていった・・・ことは、自分には全く非はなく、親心をありがたく受けない兄が悪いと信じきっている。
いざ家族会議を開けば(兄が来るかは疑問ですが)、私や姉は父の味方をすると思っている(だって、自分が正しいんだもの)
そもそも、「家族会議」を招集する力がまだ自分にあると信じている。
おめでたい!
「神様にお返しする」前は、こう考えては、父に腹を立て、私に対してどう思っているかも想像して、また憤っていました。
今は、「ふ~ん」
彼らの反応をあれこれ想像もするのですが、これまでのように腹は立たず、
「で、それで?」
な感じo(^-^o)
一山超えた手ごたえがあります\(^o^)/
また事件が起これば、揺り戻しもあると思います。
でも、これからは、自分の生活を見直して、本当のシンプルライフに向かって進んでいこう。