シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

神の手に

     かれらのことは、神様にお返ししようと思います。

      もう、考えることにも疲れました。
  どんなに考えても、何かが良くなる糸口は見つからないし、
  私の気持ちが少しでも軽くなりそうな光明も見えては来ない。

 情報を集めても、「彼らは一生このまま」を裏付ける情報しか出てこない。
年老いて衰えたら、ほんの少しでも謙虚さが備わるかと期待したかったのですが、それはおめでたい夢想に過ぎない(ToT)
彼らのタイプは、現実を受け入れることが出来ず、空威張りが酷くなるだけ。

  将来を想像しても、彼らに侮辱され、迷惑をかけられ、
 彼らのために手を貸しても、口だけのうすっぺらな”ありがとう”で
     あしらわれる自分しか浮かんでこない。

 少しは思い知らせようと、
「もう子供の助けなしにはやっていけないんだから、
                  立場をわきまえなさい!」
「やりたい放題やって、最後にはボケて。全くどうしようもない人だね」
「私の手伝いは、日給10万円、先払いだから!!」
             とか・・・ひどい暴言を吐く自分まで見えます。
 どんなに彼らが嫌いでも、こうはなりたくない。


 もう、神様にお返しします。
 彼らをこの世に生み出して、私の親にしたのが神様なら、
            作り手に引き受けていただくしかありません。
 私は、「彼らの子供である」ことで、沢山の負の財産をもらいました。
 もう、十分いただいたので、彼らは神様にお返しします。
 
     そう、このブログの冒頭に掲げる詩のように

       「わたしはわたしのことをします」
  
  



ずーっと考えてきましたが、

彼らの上から目線が変わることはないし
父の「自己愛性人格障害」も、「DV(モラハラ)」も
                あの世まで持っていくのでしょう。
父とは、一言二言言葉を交わすだけでもストレスです。
自分の優位性を示そうとしかしないんですから。

残念ながら、DVが原因で離婚した人の実体験(直接本人から話を伺ったので、間違いない)、色々な本やネットで集めた情報や体験談からも、
「彼らが変わる可能性はない」という結論しか導き出せません。

   彼らに関わること=不当に見下されて、嫌な思いをするだけ


母にはまだ少しは優しい気持ちが残っています。
でも、下手に気遣いを見せると、依存を強めて、益々重くなります。
年々ずうずうしくなる一方。
                 なので、近づくことは出来ません。

「私は話を聞いたり、世話をする。私は話を聞いてもらう。」関係も望めません。

あの人たちは、自分が受け入れられる状況(子供たちが元気で、社会的に安定した生活をしている。ちょっとした愚痴のネタはあっても、大したことはない。離婚の危機とか、経済的困窮とか、健康問題とか・・・そういう大きな問題はない)しか受け入れられないので、こちらが本当に話を聞いて欲しいことには耳をふさぎ、こちらに非があるんだろう、と攻撃します。

家族愛とか、支えあいとか、遠くから見守りあう関係とか・・・幻想です。

もし、私に非がないネタで相談しても・・・
  「夫が浮気して、給料もよその女につぎ込むから困っている。
                     離婚の相談に乗ってほしい」
と私が言っても、
   「お前が妻として至らないから浮気されるんだ」
   「”2人で”よく話し合って(私達は知らないよ~)」
という反応しか返ってこないだろうな。
「実家に戻って、ちょっと冷却期間置いたら?」なんて助けはありえません。
 そういう人たちです。

そのくせ、自分達に何かあったら、子供が助けてくれると心の奥底では信じきっています。
おめでたい人たちです。



今は、冠婚葬祭以外では接触しない
  文句をつけられないように、形だけ父の日・母の日のプレゼントは贈る
  必要なら、向うからのアプローチに返事はするが、可能な限り電話は
                          しない(手紙かFAX)
                      この方針で頑張っています。


でも、先のことを考えると、イライラしたり、また被害に遭うとうんざりしたり。
どちらかが先立ったときどうなるのか・・・

遺された方が比較的元気で、頭もしっかりしていても、甘え全開。
自分に処理する能力・体力があっても、哀れな老人のフリをして、こちらに香典返しの手配やら、相続の雑務をやらせようとするんだろうな・・・と想像できてうんざりします。
姉の結婚式の雑務も私に振り分けたくらいですから、彼らならやりますよ)
しかも、「少しは手伝ってもらったけど、自分でやった。」と思うのです。
下の存在(子供)のサポートなしじゃ立ち行かなくなっている自分を受け入れる心の深さはありませんから。

子供みんなに同等に助けを求めるならまだしも、姉は仕事で忙しいし、兄とは絶縁中だから、お前しかおらん、と、理不尽な理由付けをするに違いない。
 (墓を見に来いと呼びつけた事件で、この思考回路も存在証明済み)


遺された方が衰えてきたら、あるいは、仲良く2人でボケてきたら、
義父の時のように、福祉関係者から
「家族でしょ。何とかしてください」
といきなり命令口調の電話がある可能性も高い。

これまでの実体験から想像できるあれこれなだけに、
「いやいや、妄想で自分を追い込まなくていいよ」
とも言えず、更にげんなり。


親は2人とも67歳。
平均余命から考えると、あと20~30年は元気かも。
(現在67歳の人の余命は、一般に言われる「平均寿命」より長いです。)
その頃には、社会情勢も、自分達の状況も、私の気持ちも変わっているだろうから、今心配しても仕方ない。

理性はそういうのですが、でも、”いずれ降りかかってくる火の粉”の存在までは消せません。    

彼らが本当に老いて、助けが必要になったとき、やっぱり関わらなきゃいけない?

そういう不安と今後何十年も付き合うの?

                勘弁してくれ、です。


      だから、彼らは神様にお返しします。
    彼らの今後は、神様が考えてくださるでしょう。
       (彼ら自身で勝手にやるでしょう)


       ”わたしはわたしのことをします”