AC=自分の問題を他人(家族・親)に責任転嫁している人たち
という考えが世の中にあるのは知っています。
なので、自分がACだとcoming outすることには抵抗がありました。
「甘えてんじゃないよ」
って、いわれるな~(コメント欄を閉じているので、このブログであれこれ言われることはないのですが・・・私に直接届かない批判者の声として)と思ったり。
自分自身について言えば、
名前を付けられなかったこれまでの苦しさに名前を付けた
「親孝行」の呪縛から自分を解放すべく、
彼らを「こなき爺・婆」と命名した
今は自分はACだという視点で、気持ちの整理を試みる勇気を持った
現時点では、これで十分なんだと思うようにしています。
私がACだから、誰かに何かをしてください、というわけではないですから。
このブログを読んでくれた人が、不愉快になったら・・・それは申し訳ないです。ですが、今後は読まない、という選択肢がその人にあるので、そこは勘弁していただきたいです。
じゃあ、ブログにするな、少なくとも公開記事にするな、というご意見もあるでしょうが、私自身の気持ちの整理の為に、自分だけの日記形式ではなく、「他者が読むかもしれない状態」で文章にすること・・・出来る範囲で感情に走らず、自分からちょっと距離を取ること・・・が必要だと思い、この形にしています。
世の中の自称ACの人たちがどうなのか・・・
中には本当に甘えの人もいるだろうし、
他の心の病なのに、ACと言っている人もいるだろうし、
ACの人ももちろん大勢いるでしょう。
ACと名乗ることを、甘えという人たち・・・
以前の私もそうだったので、反論も批判も出来ません。
その人の身近な自称ACが、本当に責任転嫁するだけで止まっていたら・・・ そう思いたくもなるでしょう。
自分にACだとか名前を付けなくても、自分で気持ちの整理をした人た
ち・・・定義づけに頼ることそのものを批判的な目で見てしまうかもしれま
せん。
色々な考え・過去・気づきの中にいる人たちがいるのは承知の上で、宣言。
私は(少なくとも今の自己認識では)ACです。