シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

自分のため・自分の選択 親の場合

私の親は、二人とも、
「苦労して育ててやったんだから、自分達の言う事を聞くのが当然。
 老後の世話をして、”親孝行”するのも当然。」
                                  と思っています。
 
表面的には、「出来るだけ子供たちに迷惑かけない」なんて言っていますが、詳しく聞いてみると、「体と頭がちゃんと働くうちは、自分達だけで生活する」という当たり前のことを言っているだけでした。
 
「育ててもらった恩」は、私にとって処理の難しい問題でした。
確かに、身の回りの世話をしてもらい、生活費を全部出してもらい、大学にまで行かせてもらいました。
大変な手間・出費だったことは容易に想像できます。
 
     
この「恩」からもやっと解放されました\(^o^)/
 
彼らは、わたしにとっていいことも、悪いことも、
自分たちがやりたいから、自分達でやると決めてやったのです。
以前は、「そうは言っても、苦労をかけたでしょう?」と心の隅から声が聞こえてきました。
今は、大丈夫。
 
私を産むかどうかも、彼らが決めたのです。
たとえ、「三人も子供がいるとこんなに大変とは思わなかった。」としても、決めたのは彼らです。
その苦労した責任を私が負う必要は全くありません。
 
わんこの世話が大変でも、わんこが、私に対して苦労をかけていると後ろめたく思う必要がないのと同じです。大変でもやると決めたのは、ワンコではなく私です。
 
彼らが、自分たちがやりたいことしかしなかったことも良く知っています。
 
 約束を守らず、約束を守らなかったことを謝らず・・・は数回のことではありません。
 私の気持ちを確認せず、習い事をやめさせたり、
 「お前にはこれで十分」と私の気持ちや希望は無視して、
                         自分達が与えた物・条件で満足するよう強要したり、
 「全くお前は!!」と何かにつけてあざ笑ったり、
 思春期の娘に父親の浮気話を聞かせて自分のストレス解消をしたり。
 「働けど~ 働けど~ わが暮らし楽にならず~♪」と恩着せがましくつぶやき続けたり。
 
 大学に行く学費を出さず、
 習い事はさせず、
 小遣いなしで、
 飢えない程度の食事しか与えないことも、 選んでそうすることも出来たのです。
 殴りながら育てることさえできました。(ありがたいことに暴力はありませんでした)
 
私が自分の為にわんこの世話をするように、
彼らも、
  自分たちをいい親、よき市民と思いたいから子供を産んで、
  自分たちがしてもらえなかったこと(大学進学)を子供にすることで
                               自分達の人生を取り戻そうとしました。
・・・自分たちのために子育てしたのです。
 
全て彼らの選択で、私の責任ではありません。
親からすると、「お前がそこまで望むなら仕方ない、と叶えてやったこと」でも、
そうしたのは親なのです。全ての決定権は、彼らにあったのですから。
 
実際、我が家では、親の意向にそぐわない私の気持ちはいつも無視されるか、分不相応な望みを抱くとんでもない奴と非難されて、気持ちを踏みつけにされるか、だったのですから余計そうです。
 
 
彼らが今、「あんなに苦労して育ててやったのに!」と思っているとしたら、それは彼らが処理する問題です。私が恩に感じて、「報いなければ!」と思う必要はないことです。
 
自分たちが決めてやったこと、と己の責任を自覚せず、
「全ては子供の為だった」なんてきれいごとを信じているから、
自分たちは報われていない、あいつ(私)は親の愛が分かっとらん、という気持ちになるのです。
(これもわんこの世話をしていて気付きました。)
 
確かに、産んでしまった子供を、大変だからと養子に出したり、
      ほぼ全員が高校進学するご時勢に、子供も希望し、それなりの学力もあるのに、
                      「うちは中卒で働かせます」とは出来なかったでしょう。
「産んだ以上は!」と頑張ってくれたことは認めるし、ありがたいと思っています。
彼らが私に望むことが、「老後の生活のサポートだけ」なら、知らんぷりは出来ませんでした。
 
が、「助けてもらう立場」=「もはや自分たちは上位ではない」のに、
        何かにつけて干渉したり、馬鹿にしてあざ笑ったり、
        こちらの都合や気持ちを無視して、奴隷労働することを要求したりするのですから、
        彼らの希望に沿う事は出来ません。
 最低限の礼儀も守れない人を助ける理由はありません。
 
 
私の気持ちが離れたことも、兄に絶縁されたことも、彼らの選択の積み重ねが招いたことです。
私は、「今の接し方のままでは、私はあなた方とは付き合えない」と態度で示しました。
現実を認識して、次の一手を考えるのは彼らの責任で、私には関係ないことです。
 
 
 
                                    ふーっ、やれやれ、
                                      これで一つ難題解決です。