シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

他者の意見尊重と、最低限のモラル

常々、葛藤がありました。

「考えは人それぞれだから自分と違う意見・価値観も尊重したい」という気持ちと、
「人の道としてそれはどうよ?と思う価値観まで、”人それぞれだから”でいいんだろうか?」という気持ちのバランスがとりにくいのです。

例えば、「障害者は家族の恥」という価値観。
私は、そう考える人は、自分は障害がないから”自分は恥な存在ではない”という一種の高みから他者を”恥”と判定しているわけで、傲慢&差別だと思います。
不当な差別はなくなる方向に行くのが人類の望ましい道(みんなが幸せに生きることが出来る社会をつくる道)と思うので、「それは、無くなる方がいい”差別”だと思うよ。(できるだけ止めてね。)」と言いたい。
でも、言うと、それは相手の考えを否定することにもなります。
すると、「他人の考えも尊重したい」自分の価値観と矛盾する気がする…。


先日、「他人の考えを尊重するのと、おかしな考え方を黙認するのは違う」という考え方を聞いて、「なるほどな~」と思いました。
何を「おかしな考え方」とするかが大きな問題になりますが・・・・
 一部の人だけが利益を得て、不当な差別や搾取に遭う人が出る
 正当な根拠がない(○○だから、無条件にえらい、とか)
 責任・負担のなすりつけの為の言い訳
こういうのは、「おかしな考え方」だよなぁ。

「障害者は家族の恥」にしても、
家族に障害者がいて、引け目を感じてしまうことがある・・・これは”おかしな考え”じゃないと私は思う。今の現実に対して感じることは、ただそこにある”気持ち”だから。
私も、精神障害者の義兄のことは心に引っかかる部分がないわけではないです。隠そうとか、自分が気まずい思いをしないために身内の集まりには来ないでとかは全く思わないですけど。。。火事とか、ゴミ屋敷化してネズミが湧くとか・・・トラブルを起こすのは勘弁…と思っています。

これが、変な方向に進んで、
「家族の恥だから言うべきではない」「障害者は恥だから、社会から隠れてひっそり暮らすべき」となると、”おかしな考え”だと思う。
自分が見たくない重い現実などを避けるために、他者(障害者)に重荷を押し付けているだけでしょ?と言いたい。

この辺の微妙な線引きは、自分でその都度考えるしかないのでしょうが、何でも「相手は相手の価値観を持つ権利がある」と黙認する必要もないし、場合によってはしてはいけないんだな、と思ったのでした。

意見交換する中で、新しい価値観になっていくのが、社会で生きる意味でもあるのでしょうし。

                                        上手く言えませんけど。