シンプルライフへの遠い道

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絶縁された人、した人の意見  と私の決意

今読んでいるカウンセラーさんが書いた本では、「毒親との和解」が見えた話ばかりで、こうやってこじれているのは、半分は私の責任?? と弱気に。
 
で、初めてネットで「子供に絶縁された人」の書き込みを読んでみました。
 
読んだのは数人ですが、ひどいものです。
自分の価値観の押しつけ。
絶縁されても、「(自分の主張は正しいけど)伝え方がまずかったかな?」の振り返りすらなし。
子供側が全面的に折れて、自分の意向に沿うのが「解決」。
プレゼントも手紙も全部送り返されてきているのに、まだ、「何か月もすねちゃっているんですが、どうすればいいですか?」とか言ってる。
成人した子供がそこまでするってことは、相応の覚悟があるってことなんですけどねぇ。
 
はっきり腑に落ちたのが、私が絶縁理由を説明しても全く通じないだろう、ということ。
「頭が変になった次女が、おかしなことを言っている」で終わりだな、というこれまでの想像が正しいことが確認できました。
それだけでも、不愉快な毒親の主張を読んだ甲斐がありました。
 
 
 
親と絶縁した人の書き込みも見ました。
同じ立場なので、深く共感してしまうのですが、今回は敢えて「絶縁した後の親の態度」に注目して読むと、やっぱりね、でした。
 
親側に変わる気全くなし。
病気になった、加齢で弱った、が免罪符になると思って再接触してくる親も多数。
それも、「助けてください。」ではなく、「子供の義務でしょ」な前提だったりする。
 
大げさに味付けして書いている人もいるでしょうが、でも、子供側が絶縁する親は、自分のことしか考えてなくて、復縁を希望するのも「自分が寂しいから。自分の世話をさせたいから。」
ひどい親だと、「子供は単なる金づる」だったりする。
 
 
自分の親を振り返っても、
父親は、引退して暇になって、寂しいからかまって欲しいだけ。
母親は、父親が先に死んだときの自分の老い先が心配なだけ。
 
 
子供には、「愛玩用子供」「搾取用子供」がいるそうです。
過去がどうれあれ、
今は、姉が「愛玩用(孫との交流を楽しみ、サポートして感謝されてうれしい相手)」
私が「搾取用(ストレスのはけ口に嘲り、貶めて、いいように働かせようと言う相手)」
この区分けに納得できて、スーッと気持ちが軽くなりました。
 
 
絶縁宣言は、経験者によると、してもしなくても同じだそうで、これも気持ちが軽くなりました。
結局は、こちらの絶縁宣言が通じるわけもなく(その時は、ふざけるな!絶縁だ!と応じた親も、自分が子供を利用したくなると(孫に会いたくなったりすると)また近寄ってくるらしい)、ひたすら接触断ちを続け、出来れば自分が「所在不明」になるしかないそうで。
 
 
 
・こちらからの働き掛け方に関わらず、毒親でい続けるから毒親なのだ。
  己を振り返り、わずかな妥協点でも探せる人ならここまでこじれない。
 
・人は生きたように死ぬ、ということは、彼らはきっと死ぬまでこのまま。
  父親は自分の兄弟と絶縁。絶縁がどういうものか体験していながら、
  息子夫婦に絶縁され6年経っても、次女に疎遠にされて5年経っても変わらない人たちが
  変わるきっかけは、もう「自分の死期が見えたとき」位しかないだろう。
  その時に変わる勇気がある人は、既に変わっている。
  父親が手術の失敗で1か月入院しても、(おそらく自分の命についても考えただろうに)
  変わらなかった。
     変わらない(=絶縁しかない)という可能性しか見えない。
 
・世の中には、いい方向に変わった(変わる努力をしている)毒親もいるけれど、
 それは私の親ではない。虚しい夢を見るのは時間の無駄。
 
 
うん、今度から郵便物・宅配は「受け取り拒否」
電話は、着信拒否にすると、夫から公衆電話から電話があった時まで緊張しなきゃいけなくなるので、保留。
最悪、夫に携帯を持ってもらい、着信拒否かな。