シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

”分からない”という感覚

     毒親が、どうしてあそこまで他人の気持ちに鈍感なのか。
     どんな抗議を受けても、言動を変えられないのはなぜか。
 
                  ずーっと大きな謎でした。
 
「他人のことに口出しする前に、自分のこと考えたら!」
                             と、怒りをこめて怒鳴っても、
「そうよね、お母さんも面倒みてもらう年だしね~。」
   と、堂々と受けて立つ。(こちらが怒っていることをまったく理解できない(--;)
 
記憶の糸を辿るうち、「そうか、あの感覚か~」と分かりました。
          本当に分からないんです!
 
小学校6年生の時、私は友達グループのなかで嫌われて、グループから排除されました。
振り返ると、「父親譲りの無神経&傲慢さ」。嫌われて当たり前です。
その時言われたことのひとつが、
 「みんなであなたの悪口言って盛り上がったりしてたんだ~。ごめんね。」
 (もちろん、お詫びじゃなくて、嫌味発言)
そのあと、一緒にいても無視されて、私はそのグループから離れました。
こう言われた時、本当に何も感じていませんでした。
明日から、一緒にいる人いないな~、どうしよう? だけ。
 
今になっても、あの時、自分が何も感じていなかったことしか分かりません。
ショックもなし。
悲しみもなし。
憤りもなし。
その時まで友達だと思っていた人に、こういうことを言われて、何も感じていないはずはないのですが、分からない。
どこかで、「やっぱりね~ (親にすら愛されていない私が)人に好かれる筈はない。
                                事実が明るみに出ただけ。」
                      そんな感覚があったような気がしなくもない・・・
 
不幸中の幸いか、これを機に、相手の気持ちなども考えるようになれました。
そのあと、仲間に入れてくれた友達は、「大人しくて暗い人たち」で、クラスでも微妙にバカにされていました。
「ここでも嫌われたら、本当に行く所がない!」と切迫感があったし、
「こんな私でも、受け入れてくれてありがとう。」の気持ちもあったので、
相手に気を使うことを覚えました。
それが行き過ぎて、今度は、親相手だけでなく、友達に対しても、「自分を殺して相手に合わせすぎる」ようになってしまいましたが、両親のように、思いやりのかけらもない傲慢な人間になるよりは良かったと思います。
あのまま大人になっていたら、今も人の気持ちが分からないままだったでしょう。
あの時、はっきり態度で示してくれた友達には感謝です。
 
 
感情の一部が麻痺していて、本当に何も感じないってあるんです。
本当に、何も分からないんです。
相手が怒っていても、哀しんでいても。
相手の感情に触れても、自分の心は恐ろしいほどフラットなまま。
どうやら目の前の人は怒っているようだ。
それで?
何も心に響かない。
そうか、この感覚か。
これじゃ、何言っても、何しても駄目ですね。
この「何も感じない状態」って、心の一部が壊死しているようなもの。
 
触感を失くすと、人が自分に触れていても、感じることは出来ません。
人の手が、自分の体に当たっているのを見て、
  「あ、私に触っている。」 とやっと分かる。(でも、感じない)
 
「どうして、私に触っているのかな?」と考えて、
「どうして私に触れているのですか?こういう理由ですか?」と確かめないと分からない。
(答えを聞いても、感じないのはそのまま)
 
感じることは出来ないけど、相手の返事に合わせた対応は何とかできる。
それを繰り返して経験積むしかありません。
心の場合は、”こういう時に、こういう理由で、人は人に触りたくなるらしい。”という情報・経験を蓄積するうちに、少しずつ感覚が戻る場合もある・・・。
(でも、もともと不自由なく感じる力があった人とは、微妙に感じ方が違う。
              この食い違いが、"生きる不便さ・居心地の悪さ"になるのかな)
 
私の親は、「どうして私に触っているんだろう?」という発想が全くないので、
いつまで経っても、感じることが出来ないまま。
認識できなければ、ないのも同じ。
 
    で、他人の気持ちにあれほど無感覚になれる。
 
そうか、すっきり謎が解けた。あの感覚なのね。
そりゃ、分からないわ。
「うすうす気付きならがも、知らんぷりしてる。」 わけじゃない。
ほんとうに感じていない(感じることが出来ない)のに、それをやれって言っても無理。
 
私に出来るのは、これ以上被害に遭わないように、離れるだけ。
謎が解けて、心から納得できました!