シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

家系図カッター  増田セバスチャン著

増田さんがTVで生い立ちを話しているのを聞いて、興味が湧いて読みました。半生記。

世代間連鎖を断ち切る決意で、「子供は作らない」と決めているという著者。

私も子供は作らない、に落ち着きましたが、私の場合は、
 「自分の子供を虐待する自信・確信があるから」・・・今気づきました。これほど自分の中で、「きっとこうなるに違いない」という確信があることは他にありません。
こんなことをすれば、子供がどういう風に育つかが分かっていながら、自分の育ちへの怒りや憤り、諦めのつかない思いなどをわが子にぶつけていじめる自分を止められない自分、そんな自分が心底嫌いで嫌でたまらないのに、またわが子を虐待するループにはまる自分が見えるようです。

 「わが子から、幸せよりも苦しみを多く受け取りそうだから」
 「根っこには同じ問題(虐待されて育った歪み)を持って大人になった我が子を見たくない」

少なくとも、このことをはっきり自覚して、こんな自分を受け入れていることは評価したいです。


それにしても、機能不全家庭で育つと、なんとまぁ、似たような人間が育つことか・・・と改めて思いました。



-----------引用-------------
さて、では壊れた家庭で育ち、心の傷が癒えないまま大人になってしまった者たちはどうしたらいいのか?つらいことだが、その人たちは自分の起源を徹底的に見つめ直すしかない、というのが僕の結論だ。
それによって、オリジナルの生き方が見えてくるような気がする。
----------------引用終わり-------------

著者の考えには、大きく同意します。

私にとっては、両親は私のことを愛してはいなかった=自分たちのことだけを考えていて、私の幸せを願ってはいない。
これを認めて受け入れるのが、私にとっての「自分の起源を見つめ直すこと」だった気がします。

オリジナルの生き方が見えてきても、しんどいことには違いないですが、それでも、自分で決めて、自分で結果を引き受けて生きていこう、とは思えるので、「何かがおかしい」と思いながら、その正体が見えずにもがき苦しむよりは、幸せになる可能性があると思えます。



この本は、「半生記」なので、著者の歩みの途中まで、です。
先日読んだミニマリストの本でもそうでしたが、人生は、続いていくものだから、ある部分だけ切り取って見た時は、素晴らしくても、情けなくても、ただ無意味に沈みきっているようだったとしても、全体の中では何かしら意味がある、後に生きてくる or その前の出来事に導かれでそうなっていたりするんだな、と感じました。
だから、誰かの一瞬のことをことさら大きく取り上げて、ほめたたえたり、批判したりすることに、あまり意味はないと思うようになってきました。

今の自分は、わんこの死後、停滞しているともいえますが、これも自分の人生の中では必要な時期なのだろうと思います。



著者は、子供のころから、両親のことを「治らない人だ」と、冷めた、諦めた目で見ていたようです。
私も、自分の両親はそれぞれの意味で「治らない人だ」と諦め続けたいと思います。