シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今の解釈・・・母親幻想

親が今死んだら?(今生では永遠に会えなくなったら?)
 
 父親に対しては、ちょっと泣いて、彼を哀れに思って、数か月しんみりして終わりかな、 
                                               と割と平静です。
 
 
 母親に対しては、いや、聞いてないこと沢山ある!! と切迫した焦燥感が襲ってきて、
 自分でもびっくりして、混乱しました。
 あれ? 彼女には見切りをつけたんじゃなかったの? って。
 
 この時浮かんだ情景・・・母親の枕辺に駆けつけて、しんみり話して心を通わせているの図。
 
 ここしばらくこのことを考えて、見えてきたのは、
 「これは私がこういう関係でいたい、こういう母親でいてほしかったという妄想の図だ」ということです。
 
実際に、死を前にした母親とゆっくり語らう機会が巡ってきたら、その時彼女がどういう反応をするかは分かりません。
でも、望みは薄いです。
気持ちが通じるとはとても思えない・・・。
彼女は昔からそういう性格で、思いやり希薄だし、相手の立場・目線で考えることが出来ない人だから。
途中で性格が変わったなら、「気持ちが通じる人」に戻る可能性もあるのだろうけど、そうじゃない。
 
少なくとも幼稚園児の時は、愛情飢餓感一杯だった自分。
それが満たされた時期が記憶にない自分(満たされた時期があれば、”幸せな記憶”として残っていると思うのですが)
見捨てられたり、嘲られたりも、「私が○才頃、こういう事件があってからだ」ではなく、
「幼い時からずっとそうだった」を裏付ける記憶ばかり。
学校でいい子なのも、成績を上げるのも、親に愛されることに比べれば簡単だった。
昔からこういう人だった、という裏付け記憶しかないです。残念ながら。
 
世話はしても、愛情はないことに気づいてもいない彼女。
本人は精一杯の愛情を注いでいるつもりなんです。でも、私が必要としていたものが決定的に欠けていました。そのせいで、いつも苦しかった。
その彼女と手を取り合って、心通わせて、涙するなんて、幻もいいところです。
そういう人なんだから、仕方ない。
職場のSさんと親友になれないのと同じ。
 
私が勝手に母性神話で描かれている母親を彼女の中に捜し続けていただけ。
向こうにすればいい迷惑でしょう。
「勝手にイメージ押し付けるな!」って。
 
今の私が「こういう人だ」と思っている母親とは、接触しても傷つけられて苦しいだけなので、
離れていよう、という結論には変わりありません。
 
母親と気持ちが通じたらいいな、という思いも、無理に捨てたり封印する必要もないのだと思います。
ただ、それが実現する可能性は限りなく低いんだってことは知っておきたい。
たまに意識しないと、自分の作った妄想に飲み込まれてしまうから。
    妄想が大きいのは、それだけ、「母親に愛されたかった。気持ちを通わせたかった。」という
    思いが大きいということで、自分でもどうしようもないです。