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すごーく不愉快になって、腹が立った記事

PRESIDENT Onlineより

自ら傷口に塩を塗る"トラウマ"という呪詛

"過去が悪いせい"では立ち直れない   by榎本 博明



この記事を読んで、「この人はトラウマのこと、知らないでしょ」と思いました。
この記事を読んで、「自称トラウマ持ちは”可哀そうな自分”に酔っている残念な人たちなんだな」と思う人が増えたり、今、自分がACだと気付いて、気持ちの整理に取り組んでいる人が、「自分のものごとの捉え方が悪いんだ=自己責任→やっぱり私はダメなんだ」になったりしてほしくないです。

榎本氏の趣旨には賛同します。
「過去の記憶は事実そのものではなく、今の自分が意味づけして捉えているものなので、捉え方を変える・ポジティブに捉えることで、人生前向きに歩むことも可能」 
この意味づけの書き換えの為には、自分の生きづらさがACであることから来ていると知ること(一度自分がACだと自覚すること)が必要な人がとても多いだろう、と私は思っています。なぜなら、人は因果を知りたがる性質がある生き物だから。
それなのに、自分はアダルトチルドレンだと定義すると立ち直れないとか、軽々しく言われて腹が立ちました。


過去のつらい経験を、「トラウマ」という言葉で説明する人がいる。MP人間科学研究所代表の榎本博明氏は「記憶を『トラウマ』や『アダルト・チルドレン』という言葉に落とし込んでいては永遠に立ち直れない。苦い経験をどう意味づけるかによって、過去は暗くも明るくも塗り替えられる」と指摘する――。

これがね・・・。”永遠に立ち直れない”と断言できるほど、アダルトチルドレンのこと知っているのかな?知らないでしょ? 少なくとも、長期間大勢のアダルトチルドレンの話を聞いて、心情や生活の変化を観察してないでしょ?と言いたいです。

私も胸の内を打ち明け合って、5年、10年の長いスパンの歩みを知っているアダルト・チルドレン仲間はほとんどいません。ネット上で密かに仲間だと思っている人たちのつぶやきを継続して読んでいる程度。
ですが、毒親やAC関連本がそれなりに売れて反響があることや、親と絶縁を試みる人が多いこと、傾聴講座や座禅体験会に親子関係がねじれている人(おそらくAC)が大勢いた経験から推測すると、「自分はアダルトチルドレンだから、未来も真っ暗」と思い込んで、そこにとどまったままでいる人がAC(アダルトチルドレン)の大多数だとは思えません。
この苦しさを何とかしたいと試行錯誤している人が大勢います。

アダルトチルドレンだという現実をうまく乗り越えた人の例に40代の人をあげていますが、
人間関係が良好で、どんな相手ともうまくかかわっていけるのも、親の顔色を窺って育つことで人に対する気配りができるようになったためだという。頼れるのは自分だけという気持が強く、人を心から信頼できない、どんなに親しくなっても甘えられないし気を許せないという淋しい自分の問題を薄々感じてはいるものの、社会生活はすこぶるうまくいっているという。
この記述にも違和感を感じました。

社会適応が目的ではなく、心穏やかに、自分らしく生きている手ごたえを感じて暮らしているかが大事だと思うから。
この人を「乗り越えた人」というなら、私も「乗り越えた人」になってしまいます。

例に上がっている人の言葉を借りれば、「淋しい自分の問題を薄々感じてはいる」ことがACの苦しみの根本の一つなのに、そこが解決困難だから”生きづらい”のに、この人は一体何を言っているんだろう…と思いました。



言いたい人には言わせておけ - ではありますが、ここで言語化して怒りを吐き出しておこう。