シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

理想の家族へのあこがれ

しつこく母親絡みで考えていますが、自分でも不思議だったのが、
母親が旅立ちそうになったら、会いに行く・・・?
と自問した時、すぐに浮かんでくる考えが、「行くかも。その時よく考えよう」になること。

自分が死ぬときは絶対に会いたくないし、葬式にも絶対に呼んでほしくないのに・・・?


よくよく考えると、理想の家族の看取りの場面をイメージしていたようです。

旅立つ人の枕辺に関係者が集まって、「今までありがとう!」だとか、「あの時はごめんね」とか言って、逝く人にはっきり意識があったら、和解して、心が通じ合った実感を確かめ合って、涙ながらに見送る・・・というやつ。
あれがやれるような錯覚に陥っているらしい。

万一母親から、「いろいろごめんね」な本気の謝罪があれば救われるだろうけど、実際には、彼女が心安らかに逝くために、こちらに、「お母さんありがとう。大好きだよ」を言わせるための発言しかできないんだろうな、あの人は。 と思っています。

会いに行く場合は、”万一”をわずかながらも期待しつつ、やっぱり駄目だったと確かめに行くのだろうから、微妙です。
会いに行くことで親が多少は満足する(自分は家族に見送られるんだという安心感を得るとか)のが気に入らないから、行く気がないというのも大きいです。我ながら人間小さいけど、これが今の私だから仕方ないです。


理想の別れもないんだよな~
望んだ幼少期もなかったけど、美しい思い出になる別れもないんだよな、多分。