シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

毒母についてつらつらと考えた

母親のことをつらつら思い返すと、子供の頃はまだ私のニーズに応えてくれたり、何かを教えてくれたり、楽しい時間を共有した記憶もあるのですが、私が大人になってからは毒が強くなって、どんどんダメになっていったな~と再確認です。
決定的におかしくなったのは、60代前半で母親が体調を崩し、パニック障害か不安障害かを発症してからです。
自分のニーズを満たすことしか考えなくなり、他人でもある兄の妻には遠慮もあるし、あたりがきつくてフルタイムで働いていて時間の余裕のない姉には配慮もしていましたが、一番言いやすい私は奴隷扱いしてもいいと思ったらしい。
兄から絶縁されてからはさらに悪化し、「うまく利用するために必要なリップサービス」すらしなくなったなぁ。
私が懐かしく思うのは、まだ自分が実家にいて、親に依存していた頃に、”時々は楽しいこともあった”記憶。そうは言っても、あの時は無条件に自分の存在が受け入れられていたとか、あの時だけは、本当に私のことを考えてくれていたと確信をもってよすがにできる”暖かい記憶”は残念ながらないのですが。

人格障害で自分のことしか見えていない夫は精神的にフォローしてくれないし、長年の結婚生活の鬱憤や疲れが積もって、自分では背負いきれなくなったんだろうな~とは想像しますが、荷が重いからと私を生贄にするなよ、と言いたい。
私を嘲笑してストレス解消し、支配して自分には力があると自己肯定感を持とうとしても、長年の間に溜まった滓を少しでも減らさないと根本の解決にはなりません。私が我慢していたら、死ぬまで同じことを繰り返し、ストレス解消・現実逃避を続けていたんだろうな~。


あれこれ思い返すまでもなく、復縁はありえません。(今回つらつら考えてみようと思った時も、この気持ちに揺らぎはありませんでした)
父親のように、もう過去の存在と言い切れないのは、一緒に過ごした時間が長かったからか、父親よりは母親の内面を知っているからか(本人からさんざん聞かされた)、よく分からないままです。
母親に何かあった時に、やっぱり話しておきたかったと後悔に涙するのかも分かりませんが、少なくとも、「あの時考え抜いて親とは絶縁していたんだから、自分の選択だから仕方ない」とは思える気はします。だから、いいです。

思い返すと、やっぱり毒母としか言いようがないな…、まだまだその毒の悪影響を引きずっているな…、しんどいな…にしかなりません。

少しは生きるのが楽になったと思える日が来るんだろうか?
来ますようにと願いながら生きているんだな~と改めて思いました。