”それでも愛しているから”
とネット上に書いている人がいて、「それはそうだな」と思いました。
私は、「最後は憎んでズタボロになって別れたけど、確かにあの人を愛していた」というような恋愛や友情の経験がないので、”それでも愛している”のは親だけかもしれません。
記憶している暖かい思い出を懐かしむ気持ちもあれば、あの人たちとは関係なく、”父なるもの、母なるもの”を求める群れで暮らす哺乳類:人類のDNAに刻まれている本能で恋しく思っているんだろうな・・・と感じる感情もあります。
どんなに懐かしく・慕わしく思う時があっても、絶縁を続ける決意が揺らぐことはありませんし、絶縁の意思を保つのに何の苦労も感じなくなりました(以前は大いに葛藤しました)。
多分、残っていくのは、遺伝子に刻まれている類の慕情なんだろうな…。
否定も肯定もせず、この気持ちをここに置いておこう、と思えるようになったのは、進歩かもしれません。
”それでも愛している”と思いながら、私が手を貸さねば親が野垂れ死にすると知っても、何もせずに朽ちていく様を静かに眺めているであろう自分もいます。
気持ちも行動も、別に一つでなくていい。