シンプルライフへの遠い道

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親へのこだわりの残滓を探る

現在親とは現実的な利害関係はありません。
絶縁して、不利益は全くありませんでした。
なのに、未だに彼らの存在が「過去のもの」にならず、いつまでも引っかかっています。
これは自分の捉え方の問題だよな~、と思います。
思うだけじゃ解決しないので、掘ってみよう。

前の職場のモラハラ店長などの嫌な人も、今ではすっかり「過去の遺物」。
余程意識しないと思い出さないし、彼等へのネガティブなエピソードのあれこれはかなり努力しないと思い出せません。というより、思い出すのを脳が拒否しているのを感じます。親に対してもこういう風になりたいです。

今でも、親と仲良くしたいとか、親の自分への愛のかけらを見つけたいと思っているのか?
どう考えても「No」です。
ずーっとこの思いにとらわれて、ずーっと我慢して、ずーっと親の機嫌を取って、ずーっと自分がどう感じるかではなく、親がどう考えているか、どうすれば満足してもらえるかを考えて生きてきました。
が、「もうだめだ」「どう探しても、そんなものはない」…どんなに工夫して角度を変えて見てみても、親の言葉の裏にはあるのかもと深読みしても、結果はいつも同じでした。
期待も徐々に枯れて、その残骸も粉になって風で飛ばされ、なくなりました。



親が変わって、”表面的な付き合いが出来る人”になってほしい、なる可能性があると思っているのか?
これも全くありません。
父方の親族はお互いに絶縁して空中分解しました。この実例を見ているのに、子供たちに絶縁されても彼らは何の努力もしませんでした。(彼らなりにしたのかもしれません)
彼らは、変わる苦痛を味わうくらいなら、今のままでいい、子供と絶縁したままでいいと思っているのです。あれだけ愛情を求めた相手にとって、自分をこの世に生み出した相手にとって、自分はこんなにも軽い存在なんだと思い知った時も哀しかったですが、これが現実だから仕方ない。
何を大事にするかは彼らの自由です。縁がなったのです。
彼らに何かを期待するのにも疲れ果てたので、今はただ、「関わりたくない」それだけです。


親が要介護になったりしたら自分を頼ってくると思っているのか?
いまだに恐れています。
彼らは私を奴隷だと思っているので、何もなかったかのように連絡してくる可能性は十分あります。絶縁した現実を認めていないようですし。
何を言われようと断るのでいいのです。
警察から遺体引き取りを求められても、「どうしても私にそうさせたいなら、法的強制力を行使してください」と言うつもりだし、言える自信はあります。(現時点の法では、それは出来ないはず)
医療や介護福祉関係者から連絡が来ても、無視するから関係ないし。

問題なのは、実際に親の世話をさせられるかどうかではなく、自分の気持ち。
またあの人たちの上から目線のあざけり声を聞かされたり、どう主張しても相手に通じない無力感にさいなまれる経験をするのかという恐怖です。
実際には、現時点では、向こうが「無力な老人」で、こちらが決定権を握っています。
それ以前に、彼らと話すことはないし、手紙も受け取り拒否するから大丈夫なはずなのです。
あり得るのは、「姉経由で情報が来て、今後を相談される」ですが、姉は私を変に嘲ったりはしないので大丈夫。
それなのに、未だに「断る」にしても、その前に一度はまたトラウマ体験をさせられるんじゃないかと恐れているようです。
これは、大地震に遭ってトラウマを負った人が、ちょっとした揺れでも、激しい恐怖を感じるのと同じ系統の事なので、ゆっくりケアするしかないです。
ここに時間がかかることで自分を責めるのは止めよう。ゆっくり行こう。
フラッシュバックするくらいだしな・・・。自分で思ってきたよりも、ずっとトラウマ度は高いようです。


親の介護や看取り、後始末のことで姉ともめたり、縁が切れるのを恐れているのか?
正直これもありますが…冷静に考えると、姉には親と絶縁したことは伝えてあります。
だから、事が起こった時に、姉が一人でやることになったとしても、これを一方的に責められるのもおかしい、とは思っています。
「状況を放置した」のは姉もそうではないですか?

仮に私が全部やらされた(やった)として、姉が私に対して「負担をかけて申し訳ない」と心から思って、な何かフォローしてくれるとも思えません。「ありがとう~、助かった~」で終わり。

姉とは会話は出来る関係だから、今後の二人の関係の責任は二人にあるわけで、この件は、その時になって、その時の自分の考えで動いて、結果を引き受けるだけのことです。
他にやりようがありません。不安になったら、「その時考えよう」とそっとそこに置いておこう。



自分のメンタルケアをしようとすると、「こうなったのは親のあの言動が原因だ」と何かにつけて思い出すので胸糞が悪い。”考えない”が難しい。
これが一番なのかも…。
今の生きづらさと毒親の言動を分けて、毒親絡みのことには意識を向けないようにすればいいのか?とも考えますが、実際には難しいです。
「未だに見捨てられ不安が強くて苦しいな~。まぁ、あんな育てられ方をすればね…。」という具合に、毒親絡みのエピソードがくっついて意識に上ってきます。

う~ん、これこそ、「マインドフルネス」な修行をする場面なのかも。
これまでさんざん原因(毒親の言動の場合が殆ど)を整理してきたけど解消しなかったことが今も問題として残っているのだから、視点を変えて、「”今の見捨てられ不安の形”はどんなだろう?何色なのかな?大きさは?」と、「今」に集中するようにすれば、親を思い出す頻度も減って、段々「過去の遺物」になるのかもしれません。

脳科学の知見によると、思い出す=新たに脳に上書きすること らしいので、彼らを思い出すということは、彼らのことをどんどん強固で大きな記憶の塊に育てている、とも言えるかもしれません。
これこそ胸糞悪い!





こうやって整理してみると、問題はこの二つ。
・親のあざけり声などがフラッシュバックする恐怖が今も大きい
・自分と向き合おうとすると、親絡みの過去の記憶も蘇って、親に囚われてしまう

対策は
・「今」に集中して、親のことを思い出さなくても、自分の問題と向き合える思考回路を作る


フラッシュバックをどうすればいいかは…正直、よく分かりません。
そこに注目すれば、ますます親を思い出す頻度が増えるだけだし…。

とりあえずは、「今」に集中出来るように鍛錬を積む、かな。