養育者がアルコール・薬物・ギャンブルなど、明らかに「依存症になるとまずいでしょ」というものでなくても、ワーカホリックでも、ゲーム依存でも、その被保護者にとっては、「虐待の温床」だと思います。
依存症が原因で、経済的に困窮したり、精神病んで子供に暴力・暴言が出たり、ネグレクトになるのはもちろん有害&虐待です。
そうでなくても、依存症が”毒親あるある”の一つなのは、「ここにいなくなるから」。
身体はここにあっても、心は別の世界線に行ってしまうから。
養育者(親)が自分に無関心なのは、子供にとってはかなり厳しく辛いことです。
父親はアルコール依存症だと思っています。
世間的には、ただの大酒飲みで、依存症扱いではないのでしょうが…。
彼がアルコール依存症の診断がつく状態かより、そういう生態だったことが、子供にとっては有害だったんだよな~と改めて思うようになりました。
彼は酔って暴れたり、外で借金作ったり、説教を始めたり、大声を出して周りに迷惑をかけたりはありませんでした。
が、毎晩酔って、別の世界線に行ってしまう。
まぁ、素面でも、会話はあまり成立しませんでしたが…。
素面でも、「お前はこう思っているんだろう」と決めつけ、こちらが否定しようが同意しようが無視して話を続ける(多くの場合は嘲笑する)ことがよくありました。
酔うと、子供返りして、子供に世話をしてもらってへらへら喜んだりするのもすごく嫌でした。
こういう人と暮らしたことがない人には想像できないだろうなぁ。
身の回りのことは自分で出来るけど、話は通じないことの方が多い認知症の人に近いかも。
「ここにいるのに、いない」という、「曖昧な喪失状態の親」です。
今だと、「彼は壊れているからね」と距離を取ってみることが出来るので、イラつきはしても、短時間の接触でこちらが病むほどではないですが(同居したら病むでしょうが)、幼い時は、自分の親が「人間の見本・手本・基準」であり、自分の保護者という意味では「神も同然」です。その親があいまいな喪失状態で、多くの場合違う世界線にいて、たまに帰ってくるような人だったら、それを基準に育った者は、社会不適応になる方が自然だよな~。
彼の場合は、本当は自分以外には無関心(もしかすると、彼は彼自身にも無関心)なのに、家族思いのいい夫・いい父親のつもりでいて、いつもそう主張していたので、当時の自分は余計混乱したんだな…と大人になってから気づきました。