シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

職場にいるのが苦痛な理由

今のパート先は少なくとも私を攻撃したり、酷く不快にさせる人はいないし、居心地はいいです。
「間違いが許されない仕事だから神経を使って消耗すること」以外が理由で辞めるのだったら、どこに行っても賃金労働はできないだろう、と思えるくらいにいい職場です。少なくとも今のところは。

それでも職場に身を置くのはしんどいです。
先週は、辞める(らしい)社員さんが他の同僚たちにいじられていました。
傍から見ると他愛もない雑談の延長なのかもしれません。ご本人が嫌な気持ちになっていたのかも分かりません。
ですが、私には、「誰かがいじられている場に自分もいる」こと自体が苦痛でした。
いじり発言をしている人から、他人を小ばかにしたようなオーラが出ているのを、他人を下に見て快感を感じている気配を感じるのが不快でした。
えぇ、自分のことは棚に上げています(職場では同僚をいじったりはしませんが)。人間とはそういうもの。


そのうち自分がターゲットになるのかもしれないと不安になるのもあるでしょうし、
さんざん親兄弟にやられて、心が縮む惨めな思いをして、反撃も出来ず鬱憤が溜まっていくあの不快感・無力感が蘇るのもあるのでしょう。
いじられている人に感情移入して、相手がどう感じているかは分からない(当人は雑談の軽口としか思っていないのかもしれないし、深く傷ついているのかもしれない)のに、相手は傷ついていると決めつけて、かつての自分とオーバーラップさせているのもある気がします。


「(自分が休みの日に)残念さんが、何か面白いことをやらかしていませんでしたか?」
と聞いている人がいて、同じように微妙な気分になったこともありました。



職場の少人数を観察する限りでは、やはり私が気にしすぎ。
綺麗ごとだけでは現場は回らないし、噂話(陰口?)でガス抜きすることで、大きな衝突を回避できることも多いのも分かります。
「世の中そんなもん」で、今の職場が特別ギスギスしているわけでも、底意地の悪い人の集団というわけでもありません。


でも、自分が参加しなくても、この手のやり取りがなされている場に身を置いて、見聞きすること、感情の波動を感じること自体が苦痛です。

働く上で必要最低限の感受性レベルでその場にいることが出来るようになったら、ずいぶん楽なのでしょうが…それは今の私には難しすぎます。

かつて、生き延びるために身につけた察知・感知する能力の発動レベルをコントロールせよと?
逆に接客では、患者さんが言語外で表現していること・表現しようとしていることを察知することも求められるのに?
 そんな分刻みで切り替えなんてできません。

そうしようと努力しても疲れ果てるし、
あるがままにそこにいて、色々な感情を浴びても疲れます。

一言で言うと、「人の集まる場に自分が存在すること自体が苦痛」なのでした。

               今は、どういう事が苦痛なのかの一部を言語化できただけでも良しとしよう。