シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

言い訳してる場合か! 坂東眞理子著

副題:脱・もう遅いかも症候群

人は成長し、向上している時に一番の幸せと充実感を感じます。前にはできないと思っていたことができるようになる、今まで知らなかったことを知る、見えなかったことが見えるようになるというのは大きな喜びです。
(中略)
自分の現状より、少し頑張らなければできない目標を持つ。これが生涯にわたり成長し続ける秘訣です。

アラフィフ女性への人生100年時代を生きるためのヒント集かな。上記の引用文のスタンスで綴られていました。

アラフィフは、人生仕切り直して新しいステージに踏み出すのにちょうどいい時期だから、あれこれ言い訳していないで、自分のやりたいこと・出来ることを探して素敵な人生送りましょう! 

日頃接触のない世界の人たちと出会い、本を読んだりして自分を縛っていた先入観・価値観から自由になりましょう。

自分自身と向き合う時間を取りましょう。

何事も小さく始め、興味があることにはちょっと手を出してみましょう。

単なる情報の蓄積ではなく、知識を活用して課題を解決する力を持つことが真の教養。

身の回りを整理することは気持ちを切り替える効果があります。 ・・・・・などなど。

今の私には、新しい職場に入った時の心構えについては特に響くものがありました。

次のステージに移行するとき、方向性が見えるのに著者は3年くらいかかったそうで、私も丁度3年かかったから、これくらいかかるものなんだな~とちょっとほっとしました。いえ、人それぞれだから、本当は気にするところじゃないのでしょうけど。



でも、何だかモヤモヤします。

こうやって感想を書いていて、ふと気づきました。

人は成長し、向上している時に一番の幸せと充実感を感じます。
                       この価値観が前提になっていることが違和感の正体だと。

違和感の理由は二つ。
一つは、これは私が感じる幸せの一部ではありますが、一部でしかないことです。
わんこが満足げな顔で寝ているのを眺める時のあのゆったりとした幸せな時間もすごく大事なのです。今後はこちらの幸せを大事にしたいと思っています。この幸せを得るのに、わんこがリラックスできる”場”を提供する必要はありますが、私個人の「成長・向上」は関係ありません。ただ、わんこの側にいればいいのですから。

もう一つは、私の受け取り方の問題なのですが、成長・向上というと、何か客観的な指標で計れないといけないような思い込みがある上に、生産的でなくてはならないとか、社会貢献しなくてはいけないとか、そういう縛りに繋がっている感じがあって、息苦しくなります。
経済発展しなくてはいけないとか、そういう社会に無批判で受け入れられている(ように私には見える)価値観の息苦しさ、「一度立ち止まって、本当にそうなのか考える必要があるんじゃないの?」と日頃思っていることにもつながる「前提」なのも違和感を生みます。



自分の現状より、少し頑張らなければできない目標を持つ。
これが生涯にわたり成長し続ける秘訣です。
                         =  一番の幸せと充実感を感じ続ける秘訣です。
                                           本当にそうなんだろうか?

現実と自分が大きく乖離しすぎて生きづらくならないためには、変化し続ける現実を受け入れ、対応しながら生きていくことは必要ですが、「成長し続ける」のはmustなのか? これが本当に「一番の幸せと充実感を感じ続ける」ことになるのか? 少なくとも今の私には当てはまりません。

著者が、どれだけ自問・吟味して、どういう考えからこの「前提」にたどり着いたのか、それが一番聞きたいのですが、そこは書かれていませんでした。
著者にとっては、検討不要の「当たり前のこと」なのだとしたら、私とはOSが違うようですね、ということになります。この本を読んだ限り、著者は夢物語ではなく、現実に合った提案をしているので、直接会って話を聞けたら、興味深い経験になるんだろうな~と感じます。

ある意味、いい気付きを与えてくれた一冊でした。

ただ「在る」ことに満足を見出せるような日々の社会生活の送り方が知りたいです。