シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

子は親を救うために「心の病」になる 高橋和巳著

著者の別の本「消えたい」が気に入ったので、こちらも読んでみました。
摂食障害、引きこもり、虐待、発達障害のある親に育てられた子の話と、心の発達段階の最後「宇宙期」について。

気になったのは虐待体験者の話。
子供にとっての「悪い親(虐待する親)」のもとで暮らすしか生きるすべがないので、その子にとっては、苦痛に耐えるのが「善」、逃げ出すのが「悪」になってしまう、という解説には、そうだったな~と深く共感しました。
どうして自分にとって不愉快な相手には逆に親切にしてしまうんだろう?と考えた時、「嫌な親の機嫌を取らないと生きていけなかったから。嫌な相手ほど丁重に扱って、満足させないといけない」という思い込み、生き方が染みついていました。
健康な心の持ち主には理解不能の思考回路でしょうけど。
こういう考え方をしていたことが、あの人たちが毒親だという証拠なのだ!と自分に言い聞かせています。

今は、嫌な人とは距離を取ることに違和感も罪悪感もなくなりましたが、健康な心の人は感じているらしい、人とのつながりがもたらす安心感とか幸せとか、相変わらずよく分かりません。
このまま分からないまま一生が過ぎていくのか、徐々に分かっていく場合もあるのか知りたいですが、腑に落ちる前例に出会ったことがありません。
「多少ましになった」話は聞いても、「人との繋がる喜びってこういう事だったのか!」となった人の話は見たことがない…気がします。


著者の言う「宇宙期」も興味が湧きました。
社会的存在云々でなく、ただ「存在している」ことを感じること、そういう立ち位置のことのようです。
時々こういう感じ方をしている時がある気がしなくもないですが、この感覚は昔からたまに出てくるので、著者が別枠を設けて語る「宇宙期」の視点なのか、誰もが持つ感覚なのか、私には分かりません。


「社会的な存在の中に自分のアイデンティティを求める」というのも、求める気持ちは分かるのですが、得られた時の感覚はこうだな、というのがあやふやです。
人から褒められたり、仲間扱いされると嬉しいけれど、それはやっと「生存許可が出た=マイナスからゼロになった」という安堵で、「自分はOKだ」というプラスにはなかなかならないからじゃないかな…と最近感じます。
受け手の私の問題です。「相手はどういう感覚で、私に”あなたはOKだよ”とメッセージを送っているのか」を理性で理解・説明できても、感覚的に分かりません。自分の存在そのものを「在ってよいもの」として扱われ、受け入れられた体験が少なすぎるんじゃなかろうか・・・。いつも条件付きだった気がします。

徐々に、自分は多数派の感じ方・考え方には馴染まないんだろうな~、このまま一生体験できないのかもな~と思うようになってきました。
が、多数派の人たちがどういう感覚で・・・どういう風に自分の「社会的存在」を感じて安心を得ているのか、それは知りたいです。