シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

心理的な「治療」の限界

好きなブロガーさんのコメントに、共感したこと。

心理学に基づく療法は、今ある社会はOKである、という前提のもと、社会に適応できる状態にしようとするもので、その「困っている人」を追い込んだ(ゆがめる力を加えた?)社会そのものの在り様を問う視点が足りなすぎる、という趣旨のことを言っていて、確かにそうだな、と思いました。

この方は、自分に変化をもたらすものを別の方向で探しているそうです。

信田さよ子さんの著書を読むと、日本社会のベースにいまだにある男尊女卑とか、弱い者への抑圧とか、そういう社会システムの歪みを引き受けさせられて病む人がいる仕組みの説明もあります。
そういう視点も交えてカウンセリングや心理療法をやっている人たちも大勢いるとは思います。
が、「とりあえずは現社会で生き延びていくこと(適応すること)」が一つの目標になるのは仕方ない面もあって、難しい。理想論では飢えはしのげませんから…。
社会のおかしい部分は修正していかないと、いたちごっこなのも事実。


ハラスメントが横行している職場にいたせいで心を病んだ人が、いくら色々な心理療法を受けて回復しても、元の職場に戻れば再発。
そりゃそうでしょ、だってその人が病んでいるんじゃなくて、職場のシステムが病んでいるのだから。

こういうことが世の中にはゴロゴロしている。

毒親との生活しかり。
本当に絶縁したと実感してからもうすぐ2年。
接触も殆どないので、冷静に「あの人たちの病みっぷり」を見ることが出来ますが、付き合いを続けていたらここには到達できていないな…というのが正直なところです。
さまざまな状況から、毒親と暮らし続ける以外の選択肢しかない人の苦しい叫び声をネット上で読むと、あぁ、それは苦しいだろうな、抜けるのはかなり難しいだろうな…と思います。
毒親側の「自分は正しい、お前が間違っている、私に合わせろ」の基準をごり押しされて、毎回はねつけるにしろ、適当に流すにしろ、心の健康を保つのは毒親育ちの人にはかなり厳しいのはよく分かります。


ある人にとっては、自分の病みの原因は社会の歪みにあるのに、「自分を変えて社会に適応できるようになりましょう」が心理療法なら、それは、毒親持ちに「親孝行できる心の広い人になりましょう」と強要するような苦痛を与えているんだな…。恐ろしいことです。
   

ただ、その人にとってfitするのは何か、という問いがあるだけで、”正しいこと”なんて、どこにもないのかもしれない。