シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

夜[新版] エリ・ヴィーゼル著

ホロコーストを生き延びた著者の自伝的小説。・・・自伝?
好きなブロガーさんが紹介していたので、読んでみました。
著者はノーベル平和賞受賞者だそうです。

ホロコーストを生き延びた人の手記はこれまでもいくつか読んでいて、それぞれが住んでいた場所や状況は違っても、おおよその流れは知っています。
情報として知っているだけで、ほぼ全てが想像の範囲を超えていて、感想を書いても、上っ面を撫でてもいない感じになります。死の恐怖どころか、飢えも乾きも知らないのですから…。


印象に残ったのは、ずっと助け合ってきた父親が、すっかり弱り切って、もう助からないだろうという状況の時、「(父親を捨てて)自分が生き残ることを考えろ」と言われ揺れるところ。
父親が亡くなった時、「自由になった」と思うところ。・・・・これを正直に書いているところ。

私は両親に対して、こういう思いを持つ地点まではたどり着けません。
その前に、お互いに見捨て合う関係だということを嫌というほど知っているから。
母親は私のパンを奪って、いえ、あれこれ言い募って、私が自ら差し出すように仕向けて、自分が食べるだろう。・・・実際にそうするのかは分かりません。でも、私にとっての彼女はこういう人。一方的に奪い取っていく・・・しかも、「自分が奪った」という罪悪感を免れる為に、こ狡い理屈を並べ立て、正当化する人。


わんことの関係を考えた時、このエピソードは問いになります。
確かにわんこの最期の時期、逃げないと決めて、そうしたけれど、それは自分が強かったからではなくて、逃げないでいられる(まだ留まっていられる)レベルだったから、というのを知っているからです。
わんこが昼も夜もなく呼んで、側を離れられなくなって、自分が疲労困憊した時に、自分が楽になりたいから、早く最期が来ればいいと思うであろうことも知っていました。そう思う自分を凄く嫌悪することも分かっていました。そうならなかったのは、私にとっては天の恵みでした。

そう思ってしまうのは、仕方ない。
そう思ってしまっても、何かするのか。
自分の生死がかかっている時、どうするのが自分にとっての正解なのか。    難問です。


著者は熱心なユダヤ教徒だったようで、宗教的な記述も沢山あります。
ユダヤ教について知っていると、もっと理解できたんだろうな…。