シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

OS違いの利点を生かす

また「消えたい」の本の内容から・・・

自分が少数派の異邦人なのは、生きづらさの原因の一つです。

他人から褒められても、あまり嬉しいと感じません。
相手が嘘を言っている感じがするからではない。
以前は、自分が、「私は褒められるに値しない。なぜなら、完璧ではないから。」と思っていると思い込んでいましたが、それも微妙に違うような。こういう思いもありますが、これは原因の一部でしかないことが見えてきました。

「相手のプラスの言葉や気持ちの波動を受け取るレセプターがない or 極端に少ない」 が近いかな・・・。

褒められたり、認められたりすると、少しは嬉しいし、そのために頑張る面もあるけれど、いざ、報酬(賞賛や高評価など)を受け取ってみても、あまり心が動かない。
ふ~ん、位。

以前はネガティブなものばかり受け取っていました。で、毒のある人に付け込まれていました。
自分の居場所を確保して、野垂れ死にしないために、必死で認められようとしていたから、認められると安心することを「嬉しい」に変換して解釈していたのかも。

他人の感情や評価は、私の心身の生死に関わるほどの影響力はない、私の受け取り方次第ということが腑に落ちてからは、いい評価を得る価値が私の中でがっくり下がり切ってしまった気もします。
私はプラス評価を受け取る力が弱すぎるので、私にとっては努力に見合う報酬がない。
ネガティブなものは受け取れますが、ネガティブなものばかりを受け取ることにはもっとメリットがない。
そうは言っても、社会的に排除されたくはないので、「赤点でなければ十分」になりつつあるのかな・・・。

同じ物事に接しても、それをどう解釈して反応するかは相手次第だから、相手の顔色を窺うのは、「分かって欲しいは奴隷の心」だと思うようになったのもあります。



異邦人であることは、社会に馴染むことで心を安定させて幸せに暮らすにはマイナスでしょうが、働くにはプラスかも。
なんと言っても、こっちにはレセプターないし、OS違うから。他人の思惑の波動の影響を避けられるのかもしれません。
やってみないと分かりませんが・・・。
「ちょっと働いて試してみよう」としていることは、この確認なのかも。
少なくとも夫が仕事上のストレスをうまくかわしている(ように私には見える)のは、これが身についているからなのかも。



そういえば、中学の時、「あなたのことが分からない」とクラスメイトに泣かれたことがありました。
その時も、「知らんがな。私にもあなたのことは分からんよ」と泣いている相手を冷ややかにぼんやり見ていました。
このスタンスでいられたら、人間関係の喜びはなくても、働くのは楽かもしれない。