シンプルライフへの遠い道

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人はダメで、わんこはOKな理由

相手への好悪に関わらず、他人の存在感も薄いです。自分の存在も時々”ここにいる”が薄くなります。
上手く言えませんが、お互いが存在している実感が乏しいくて、存在があやふや、もやがかかっている感じがします。曇りガラスの向こうに見えている感じです。

先日読んだ「消えたい」にあった、「社会的存在・自我同一性」が揺らいでいるからなんだろうな~

わんこ相手だとOKで安心するのは、よその子でも、「わんこがここにいる」「わんこが反応を返している対象=私がここにいる」とクリアに感じられるからだと気づきました。
わんこ相手だと、私は自我同一性がしっかりする。その先に、「私はここにいてもよい」がある。

人に対しては、虐待後遺症で多数派の人たちは私にとっての宇宙人だからなんだろうな~と理解していますが、わんこだとOKなのはどうしてだろう?

「全く違う存在だというのが前提にあるから」なら、異文化の外国人との方が安心して一緒に居られるんだろうか?・・・これは、ちょっと当てはまるのかも。学生時代、アジアからの留学生とも仲良くしていました。
彼女のOSが自分のOSと近かったからなのか、「異文化育ちだから、お互い共感できない部分が多いのがデフォルトだよね?」という暗黙の了解のもとコミュニケーションを取っていたからなのかは、確認できませんが。

「人それぞれ違うよね」という前提で接してくれる人は多くても、「OSが同じ」という前提を外して接してくれる人は、思い浮かびません。
胃瘻などの特殊な状態は別にして、人間なら口から飲食物を取り込むのは、わざわざ確認しなくても当たり前(共通の体の仕組み)なのと同じく、OSが同じなのも確認不要の当たり前なんだろうな~。
私も、違和感は感じていても、ごく最近まで「OSが違う」ことは意識していませんでしたから。

確かなのは、わんこ相手だと、自分がここにいるとはっきり感じることが出来て安心する、ということだけです。
多分、他者といてもこの感覚を持てる日は来ないんだろうな~。
う~ん、しんどいけど、仕方ない。逆に、孤独耐性は高くなるメリットに目を向けよう。