シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

今、ACな私に必要なこと

今の自分に必要なサポートって何だろう。

親は毒親だった、自分はACだ、と気付いた当初は、あの嫌な経験は虐待だったんだ!、親を許せない!!と怒りまくっていました。
それに対して、「それは酷い!あなたの怒りはごもっとも」と言ってくれる人が必要でした。
自分の感じたことが、感じたままでOKなのかもあやふやだったので。
他の人に、「それは酷いことだよ!」とお墨付きをもらわないと、すぐに自分の感覚が揺らいでしまうのです。
まぁ、長年親に、「そんな風に思うお前がおかしい」だの、「痛いはずがない、哀しいはずがない」と言われ続けたら、自分の感覚とのつながりが薄いのも仕方ない…。

多分、多くの人には分からない感覚なんだろうな…分からない人は幸せです。
だって、自分が「これは嫌だな」と感じていることを、「そのまま感じていいんだろうか?」と許可が必要なに思ってしまう、それどころか、自分がどう感じているかすらはっきりせず、もやもやしたものがある気がする…ということも多いのですから。

今は、親への怒りや、「あれは酷いことをされたんだ、だから、私は怒っているんだ!」ということについては、共感や賛同はあまり必要ではなくなりました。あれば勿論嬉しいですけど。
以前のように、誰彼構わず親の非道を訴えて、「あなたの不快感はごもっとも」と言ってもわらなくても大丈夫になってきました。喜ばしい前進です。

多数派の人とはOSが違う感じがする不自由さ、ちょっとストレスがかかると前のACな思考回路に戻ってしまう自分など、もう少し何とかならないかな…ということが沢山あります。

まるで、玉ねぎの皮。
一つクリアできたと思ってめくると、次の問題がそこにある。
まためるく、の繰り返し。疲れる…。

カウンセリングに行くことも何度も考えましたが、自分には合わないな~といかないままです。
自分の満足より相手の満足を優先するACな自分、「いい子、優等生でいたい自分」が、多分、「おかげさまで順調に回復しています!」と演技させるだろうな・・・と思うから。
次のカウンセリングまでに、何か成果を上げないと!みたいな自滅焦りも強く出そうです。

今の自分に必要なのは、
自分のペースでいられる場所と沢山の時間、
自分の思索のきっかけになる刺激をくれる人とのつながりや体験   なのかな…。

今年になって、昔の友人と再会して、いい刺激をもらいました。
それで気づきました。
私は他人と話している最中に気持ちの整理がついていくタイプではなく、もらった刺激を後で一人で考えて、整理して、言語化して、初めて消化できるタイプ。だから、人と接すると疲れて、一人になる時間が沢山必要みたいです。
社交的な人は、他人と同じ場に居ながら、自分の中の整理も自然にできるんでしょうね。
だから、すぐに別の人と会っても疲れない。

今後も自分に合ったペースでゆるゆる生きたいです。