シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

封じた記憶が湧き上がってくる時期

先日見たTV。東日本大震災のトラウマの話でした。
3歳ごろに震災を経験した子が、今になって震災のトラウマに苦しみ、特に3.11が近づく冬から春にかけて、症状が酷くなる話でした。
お母さんも、身内が亡くなったことを受け入れられず、思いを封印していたそうです。
そんな二人が、カウンセラーさんの助けも借りながら、徐々に気持ちや記憶を言葉や形にしながら、現実を受け入れていく話・・・。時間をかけて、ゆっくりと「過去のこと」にしていく過程を追った番組でした。

今後も、震災の記憶・トラウマに苦しむ人が増えるのかなぁ。
沖縄戦のトラウマに苦しむ人が多いとも聞きます。
トラウマに時間は関係ないですから・・・。
安全な居場所を得て落ち着いたころや、人生の節目は、封じた記憶がよみがえりやすいのかもしれません。


心の仕組みは本当に複雑で、分からないことの方が圧倒的に多いな、と思いました。
こういう話は、少しだけ慰めにはなります。

自分が毒親持ちのACだと気付いたのは、30代半ば。
過去は変えられないけど、せめて10年前に気づいて、心の整理を始めていたら、回復ももう少し早かっただろうし、違う人生もあったのかな・・・と思うこともありました。

こういう話を聞くと、「その時」は、その人にとってふさわしい時期にしかやってこないんだろうな~、
            私の「その時」は、あの時だったんだろうな~、
            私がどうにかできることじゃなかったんだろうな~と思えて、少し慰めになります。

気づきを得たのは・・・・かなり苦しいトンネルを通るしかなくて、しんどかったけど・・・私にとっては喜ばしいことでした。
20代の頃より、自分との付き合い方も上手くなってきたし、他人の行動の裏にある心理を想像したりするゆとりがある時も出てきたし(それが正しいかは私には確かめようもありませんが)、悪くはないです。

一言で言えば、「少しは賢くなった」気もするし、一歩下がって別の視点を試す習慣も出来てきました。
でも、やっぱり、愛情深い両親に育てられて、この世にいていいんだという自己肯定感を持って暮らしたかった。考えが浅かろうと、「人生こんなで、まぁまぁ楽しい。生まれてきてよかった。」でいたかった。
悩み多き人たちから、「お気楽人間」のレッテルを貼られる側に居たかった。無理ですけど。



もう一つ思ったのが、「母親はやっぱり引き上げ体験のトラウマがあるのかな」ということ。
終戦後、引き揚げてきて、祖父の親戚の家に身を寄せていたそうです。
母は5人姉妹ですが、母だけ凄く痩せていて、神経質。
戦後生まれのおば4人は、ふくよかで、明るくて、どちらかというと豪快。(一人だけ、ちょっと神経質な感じのおばがいますが、母とは違う繊細さ)
母は不安感が強いです。
2,3歳の頃の辛い記憶が整理されないままになっていて、母はああいう性格になったんだろうか?
少なくとも、大きな一つの要素なんだろうな・・・。
・・・私にとっての毒母になってしまった理由が、このトラウマのせいだとしても、私は彼女を免責する気は全くありません。気の毒だとは思いますが、だからと言って、自分が負った人生の荷物を他者に背負わせていいことにはなりません。
私は私の荷を背負って、歩いて行くしかないようです。