シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

迷ったら立ち止まる癖がついた気がする

自分を生きづらくしている思考・行動のパターン・・・多くは毒親からの呪い・・・。
何かおかしいと感じることも出来ることが増えたし、そういう時に、立ち止まって考えたり、自分がどう感じているかを確かめたりする癖もついてきたな、と感じます。いい傾向です。

今の懸案は、自分から近づいて交流が始まった人との今後。
残念ながら、距離を取った方がいいな、という結論になりました。微妙に合いません。
でも、自分の側には決定権がない気がして、もやもやしていました。
「潮時だと思うけど、相手はそうではないようなのに、私が”離れる”アクション起こしていいのかな?」と。


以前は、「自分の方から近づいたから」と自分に言い訳して、「自分は関係を続けるかどうかを決める権限は持ってない」前提で動いて、この前提の是非を考えすらしませんでした。
というより、自分がこの前提で動いていることにすら無自覚でした。

親の言動が嫌でも、我慢して受け入れるしかなかったから。
そうしないと、余計嘲られて嫌な思いをするだけで、結果は変わらなかったから。
子供は親が本気で見捨てたら、死ぬしかないから。野垂れ死にするのが怖かった。
                 ・・・・で、自分が不快にならない自動反応経路を作った結果がこれでした。

今回はちゃんと立ち止まって考えました。
相手にはいつでも「私との付き合いをやめる」選択肢がある。
思い返しても、私が相手の選択を誘導したり、邪魔したりしている事実はない。
なら、今交流があるのは、私の強要でも、”お願い”でもなく、半分は相手の意思だから、対等の立場のはず。
対等なら、私の方が、「ちょっと違うかも」と感じ始めたからと、距離を取るのは私の自由のはず。
相手も同じように、いつでもそうしていいし、おそらく精神的に健康な人ならそうするだろうから。


結論が出たので、今度はこれを穏便に実行する方法を思案中です。
まぁ、徐々にフェードアウトかな。

何の躊躇もなく、距離を取れる相手もいるのに、こうやって逡巡するのもある意味赤信号なのです。
親に似たタイプの可能性が大きい気がする・・・だから、埋め込まれた呪いが発動して、「私に決定権はない」になるのかも。
それなら、ますます、勇気を出して離れなきゃいけない。



働き始めても、こういう風に、違和感感じたら、ちょっと立ち止まるゆとりを持ち続けたいです。
ちょっとでも忙しくなってくると、難しくなるから、どうかな…。
頭の中を散らかさないようにしたいです。