シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?Create Media編集

虐待経験者の親への手紙を100通集めた本。
この手の本は、以前は、自分の経験を「あれは虐待だった!私の親は毒親だ!」と確認する為に読んでいました。
親にいつも自分が感じたことを否定されたり嘲られたりして育った後遺症で、自分がおかしいと思っても、それをしっかり認識できないというか・・・「おかしいって感じてもいいんだろうか?」な疑いが頭をもたげるのを防げなかった(今も残っています)ので、何度も、何度も、しつこくインプットする必要がありました。

今回は、
虐待受けて、心に傷も残っているけど、もう、すっかり過去のことになって、新しい人生歩んでいます!なすっきり感を持てている人っているんだろうか? 
自分がその境地にたどり着くことが出来るんだろうか?
そもそも、虐待経験者が到達可能な場所の中に、そういう境地があるんだろうか?

という疑問の答えがあるかな?・・・・できれば、「あぁ、この人の境地を目指せばいいんだね!」な経験者の声を発見したい(今のところ、発見した経験はないです)と読みました。

自分の人生を歩んでいる人は大勢いましたが、みんな心の傷を抱えたままな感じで、「スッキリ過去のこと」とはいかないんだな…な感じであふれていました。

読んでいるうちに、自分の嫌な記憶も次々蘇るし、かなりしんどかったです。
怒りや嫌悪感再燃で、また親を捨てる決意が新たになったのは良かった…と思いたいです。
親の言動はそれぞれ違うけど、子供の人格無視、奴隷扱い、己を振り返ることもなく、子供が大人になっても自分が正しい・正しかったと確信している人格の歪み・・・なんと共通点の多いことか。

自分で自分を大事にして、新しい人生を生きているんだな、と励まされる人は大勢いて、自分もこの人たちの仲間だと思えるようになりたいと思います。
でも、本当にスッキリ解放されるって、やっぱり記憶を失うとかしないとダメなんだな…と感じました。
嫌な同僚や上司も、会社を辞めて時間が経てば、「過去の嫌な人」になるけど、親は自分の人格形成に深くかかわり過ぎているから、死んで時間が経っても、「あんな人いたね」にはならないんだろうな…。
そうなって欲しいと切実に願っているのに。

経験で学んだことの集積が今の自分だから、やっぱり難しい。
「学びの材料である過去」の解釈を変えて、自分を変えることは出来ても、「過去」そのものは変わらないし、「あれは虐待だった」と気づいてしまったら、それを「愛情ゆえ」などと色づけようとしても出来ませんし。無理にやれば、自分の精神病みます。それは「嘘」ですから。


信田さよ子さんの文章は、社会全体の認識の歪みを鋭く指摘していて、「そうだ!!」と思いました。
加害者を、例えば、「会社の上司が」に変えたら、多くの人は、「そんな会社辞めなよ。逃げるが勝ち」と思うことも、加害者が親だと、なぜか子供が悪い、親は正しいになって、犯罪行為も処罰対象にならない。おかしい。

私は聞かれたら「親とは絶縁している」と話します。
多分、多くの人は不快だと思います。
でも、これからも言い続けようと思います。
親子関係に耐えられず、絶縁する人もいるってこと位は、周りに知らせたい。
自分も子供から切られるんじゃないか?って、ちらとは考えて、己と向き合ってほしい。

先日会った友人も、「子供とけんかすることあるけど、振り返っても自分が悪いことはないから、謝らない」と言っていました。
何十年も続いている人間関係で、自分が相手に謝らなくてもいい正しさだけでいられることなんてあるんだろうか? ないでしょ? 
多分、自分の子供には自分の歪んだ正しさを押し付けてもいいと思っているんだな~と思いました(さすがに本人には言いませんでしたけど)。
この思考回路に、毒親問題の根があると思います。



せめて自分が死ぬときには、「あぁ、消化済みの過去のことになったなぁ。頑張ったなぁ。」と思いながら逝きたいものです。かなり難しそうですけど、そうでないと、子供時代を失って、永遠に取り返せないまま人生終わらなくてはいけない自分が可哀そうすぎる。