シンプルライフへの遠い道

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毒親絡みのモヤモヤを友人に相談してみた

今年に入ってモヤモヤしていた年賀状問題は、「来年届いたら受け取り拒否か返送する」と結論が出ました。
この結論を覆すかどうかではなく、私の親の思考回路が、毒親でない親の立場の人(友人が友人の子供にとって毒親かどうかは私には分かりませんが)と共通するのか、知りたくて聞いてみました。

以前同じ質問に答えてくれた50代女性(子供二人)と同じく、
「子供が自分と縁を切るとか言ってこじれても、親子の縁が切れるとは思わないねぇ。」 という返事でした。

う~ん やっぱりそうか。
「縁が切れてほしくない」がどこかで「大丈夫だ」に変換されるらしいです。
これって、ACな私からすると、単に「自分が生産した物は自由になるはずだ」という歪んだ思い込みの変形にしか見えないんですけど、世にはびこっているから仕方ない。

「言葉で伝えたり、荷物や手紙を返送したりしてもダメなのか」も聞くと、「う~ん、難しいかな」との返事。

ただ、希望のあるコメントもありました。
「返送されてくるのはショックだから、年賀状を送り返したら、今後は送ってこなくなる可能性は結構あると思うよ。」
そうか。返送が生存確認を兼ねた歪んだコミュニケーションになる可能性も否定はできませんが、私の親には効果あるかもしれない。拒否られるのが苦手だから、あの人たちは。やはり、来年は返送だ。


もう一つの希望。
「私に嫌われて拒否されていることを認識させるのは無理なのかな? 
葬式に行かないとか、危篤の知らせが来ても行かないとかしてもダメなのかな?」 という問いには、
「さすがにそこまでやれば、分かるかもね。逆にそこまでしないと分からないと思う。」 との返事。

友人の身内で、ほぼ「絶縁」な不仲な親族も、どちらかの葬儀には来ていたそうです。
(友人は、「あれほどの不仲でも葬式には来るんだ。」と驚くほどの不仲だったとか)
そういえば、私のおじは父方祖父と絶縁していましたが、葬式には来ました。
村八分」でも、葬式と火事には手を貸すといいますから、葬式は特別なのかな。まぁ、一般的にはそうですよね。

そうか、じゃあ、葬式には行かないでおこう。行く気もどんどん減る一方だけど。



友人は、自分に子供がいることもあって、私の話を聞きながら「そこまで親を嫌わなくても・・・」と思っていたそうですが、父親に中絶云々の暴言を吐かれた話をしたら、さすがに、「それは私でも無理かも」と言われました。
あぁ、やっぱりそうだよね。
これは、何か大事な一線を超えてしまった暴言だよね。


親に対して残っている私の要望は、
・少なくとも生死に関わる一大事以外では接触してこない。出来れば、生死についても知りたくない。

・私が親を嫌っていることを認識する

この2点ですが・・・ 望みが全くないわけではないけれど、お互いがそこそこ元気に暮らしている間は難しそうです