シンプルライフへの遠い道

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死に際に絶対に会いたくない人

以前から思っていて、夫にしつこく頼んであること。

私が死にそうな時も、葬儀にも、絶対に親を呼ぶな

私の姉には知らせたのに、親に知らせないのは・・・となるなら、だれにも知らせず、そっと死なせて、密かに葬式をしてほしいと夫に頼んであります。
親族に知らせるのは四十九日を過ぎてからでいい。


昨日、相続や遺言について考えていて、「あぁ、そうだった、私はこんなにあの人たちのことが嫌いなんだ」と思い出しました。

私の死に際だったら、さすがのあの人たちも純粋に別れを惜しんでくれるかもしれない-なんて妄想はとっくの昔に消滅していたのだった。彼らが喜ぶ姿しか思い浮かばない。
毒親絡みのことでは珍しく、理性で自分に言い聞かせる必要は全くない自明の理なのです。

これまでの彼らの言動から、「これで自分が支配対象(娘=私)から絶縁された、捨てられたという現実を見ないで済む」とほっとする・喜ぶんだろうな~、もし、何か考えるにしても、早く死ぬのは親を苦しめた罰だ、くらいにしか思わないんだろうな~と思っています。 当たらねども遠からず。
表面的には、「子供に先立たれた」と悲しいふり(本人はそう思い込んでいる)するんでしょうけど。


この世との別れの時に「絶対に会いたくない」
自分の遺体を「絶対に見せたくない」
そんな相手との関係改善の可能性を未だにふと考える時があるなんて、おかしいぞ、自分。
人間の思考は本当に辻褄があわないなぁ、と自分自身の気持ちの動きを見ていて思います。

親の葬式に行くかどうかをちらと考えることがあるのは、「自分は生きていて相手は死んでいる」状況を、自分が上だと思っていて、温情(少なくとも父親は自分の葬式に来てほしいらしい)を施してやるかどうかの選択肢は自分にある立場を夢想して喜んでいる部分もあるのかもしれない。
逆の立場で自分が死ぬ方だったら、絶対に近寄ってほしくないのだから。


また変な妄想が浮かんだから、このことを思い出して、「違うでしょ」と自分に言い聞かせよう。