逮捕後、雑誌を差し入れする親に止めてほしいと伝えるエピソード
「断ると相手に悪いから」という相手を思いやる気持ちから来るのではなく、「自分が傷付きたくない」という理由でしかなかったことに気付いたとたん、状況が一変したのでした。これ以降、親に対して「伝わらない」と感じることがどんどん少なくなっていきました。
中略
この体験を機に、私の中で世界の見え方が徐々に変化していきました。この世の現実というのは、心が作り出しているのではないかと思うようになったのです。親との関係で言えば、「親にわかってもらえない」という現実が先にあるのではなく、「傷付きたくない」「どうせわかってもらえない」という否定的な想念が先にあり、その想念が心に壁を作り、その壁が言葉を遮断し、言葉を発しているのにもかかわらず「伝わらない」という現実を生み出していたのではないかと思ったのです。
ネットで見かけたこの文章を読んで、
私は親にはっきり伝えていたんだろうか?
どうせ否定され、嘲られるという思い込みを横に置いて、自分が傷ついても、とにかく伝えたいと思って行動したんだろうか?
と自問しました。
答えは、「否」。
彼らを毒親だと認識してからは、「どうせ聞かないでしょ」「どうせ嘲るんでしょ」と思って接していました。
この話から私が考えたことは二つ。
一つは、「どうせだめだ」は横に置いて、とにかく伝えようとした方が良かったのかな、ということ。
もう一つは、
子供の時から、大人になっても、相手を毒親だと認識して、「どうせ歪曲して受取り、私を嘲るんでしょ」と思う前は・・・本当に私の気持ちを分かって欲しい、心を通わせたいと思って、一生懸命伝えよう、親に好かれようとしたけれど、その努力の結果辿り着いたのはここだった。
「好きに嘲り、利用できる奴隷扱いされること」
あれだけ頑張って行きついたのがここなのだから、自分の努力が足りなかったと思うのは止めよう。
親との関係は、もういいです。このまま死に別れで。
親以外の人との関係では、傷つきたくないとか、メンツやプライドにこだわって、最初からあきらめて接するのは減らしたいな、と思います。