シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

職場に求める「場」の在り様

短期バイトは楽しく続けています。
一つの歯車の役割しか要求されていないことがはっきりしているので、居心地がいいです。
”短期バイトたち”とひとくくりにされ、個別認識をされないのも、逆に快適です。
精神的にもすごく楽。

「場」の影響力は侮れないな、と感じます。
今のバイトは、「自分」でいることを全く要求されないのが心地いいです。
長期間続けると、もやもやしてくるかもですが・・・頭の中を空っぽにすると割り切れる範囲の労働時間なら、大丈夫なのかも。

どうして前のパートはダメだったんだろう。苦しかったんだろう。
「閉鎖空間」での、「同僚と協力しないと業務が成立しない仕事内容」、「ミスが人の命に直結する緊張感」も大きいです。人間関係の逃げ場がない。
それでも、買収される前は、文句を言いながらも続けていられました。
労働者として尊重されている部分もあったし、経営者とのコミュニケーションも成立していた(仕事上の問題を相談すれば、対応してくれた)ので、まぁ、良かったです。

買収後は、「歯車として、言われたことを大人しくやれ。他はこっちでやっておく」でもなく、
「腹を割って話し合い、理解しあいながら、目的を共有し、協力体制を作っていこうね」でもない。

「与えられた劣悪な状況で文句を言わずに最上のパフォーマンスを上げ、得た利益はすべてこちらに差し出せ」 でした。ふざけるな、です。
下からの要望が通る回路は敢えて封鎖し、自分たちの指令を下すルートだけ確保している。
法的措置に訴えられないよう「サービス残業の強要」などはなく、上手く保身を図るだけの知恵が向こうにあるのが分かるから、余計腹が立つ(完全に故意にやっているのが明白)

あの会社に馴染んでいる人たちは、こう言っては何ですが、根性曲がっていました。
「自分だけ良ければいい」になるか、「私は知らない、言われたことをやっているだけ~」な感じ。
そうでないと生き残れないのは、短期間ですぐに分かりました。
「場に染まる」ってこういう事なんだ、と恐ろしく感じました。だから体制が変わって一か月しないうちに辞めることにしました。


「理想の職場」は存在しないのでしょうが、こういう空気感の中に居たい、というイメージはあった方がいいだろうな、と思います。
「自分にとっての悪い場」にいた瘴気を抜くのに精力使い果たして、気が付いたら棺桶に入っていた、というのは嫌だな。
出来れば、「お互いいい刺激を与えあって、高めあっているところもあるよね・・・色々トラブルはあるけど」くらいの職場に居たいです。