シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

結局は愛次第

結局は、これまでの関係と愛があるかだな、と思った話。

お気に入りブロガーさんの記事で、
「友人が認知症の母親を老人ホームに入れるしかない!という結論に達し、”温泉旅行に行こう”と騙して施設に連れて行った。現場でばれて、母親が置いていかないでくれと泣いて暴れたけど置いてきた。本人も兄弟も帰りの車で泣き崩れていた」・・・「という話を聞いて、自分はぎりぎりまで母親を世話しようと思った」 とありました。
施設に入ることになった母親は、認知症が進んで、汚物を家中にぶちまけたり、冷蔵庫に入れたりと、自宅介護は限界点を超えていたそうです。

この記事を読んで、「私は自分の親が、”施設に入りたくない”と泣き叫んでも、平気で置いていくな」と思いました。
そういう場面に立ち会う気は全くありませんが、姉に付き添いを頼まれたら、行くかもしれない。

私がぎりぎりまで追い込まれて、「あと数滴でコップは溢れて自死するのかも」と感じた、人生ただ一度の事件の時も、「お前が悪い」で見捨てた人を、生存に必要な世話をしてくれる場所に置いていくのに、何か感じるとも思えません。
居場所があるだけでもありがたいと思え、とは思うだろうな。

だから、親を施設に入れたことを「親を捨てた」と思って罪悪感に苦しむ人がいることは理解できても、その心情に寄り添うことが出来ません。
「子供には子供の人生があるんだから、仕方ないでしょ。ちょくちょく会いに行けば十分だよ。」かな。




でも、これをわんこに置き換えると、もう想像しただけでウルウルです。
止むなき事情で、老犬ホームに愛犬を預ける話をTVで見たことがあります。
このままでは共倒れになり、お互いが不幸になるからと苦渋の決断。
置いていく時にわんこが何とも言えない哀しい目・すがるような目で見るんだろうな…と思っただけで、耐え難い。検査のために病院に数時間預けるだけでも胸が痛んだのに。
親を施設に入れることに罪悪感を感じる人は、こういう気持ちもあるのか…と思うと、ちょっと納得。


私は親に対するこの手の罪悪感からは解放されていることが、数少ない「毒親を持ったメリット」と言えなくもないですが、それよりは、親のことが好きで、罪悪感に身もだえする関係を持ちたかったな。。。と思うのでした。