シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

なぜまだ苦しいのか

親への期待も罪悪感もすっかり手放しているのに、未だに苦しいのはなぜだろう・・・ここ数日考えています。

本当は手放せていないのか?
期待はないです。期待できないことに腹も立たない。正直、嫌悪感は湧きます。
罪悪感もないです。あれこれ理屈を引っ張り出してきて自分を説得する必要も全くなくなりました。
親への期待と罪悪感は「克服できた」と宣言できる数少ないことかも。


新たな被害への恐れだけなのか?
お互い生存中なので、「新たな被害発生の可能性」はありますし、恐れているのも事実。
向こうは何かあれば子供が当然助けてくれると思っている(縁が切れていないと能天気に信じていることは去年確認済み)ので、厚かましく連絡してくる可能性はあります。
断る気満々、断りきれる自信大ありなので大丈夫なのですが、不愉快な事件が起こることには変わりないし、不快なことを言われるのは間違いないです。
これは私の方にも問題があるのは自覚しています。
相手がどういう言動をしようが、接触があれば私は怒りの大爆発を起こすのですから。

以前はこれが嫌悪感の正体だと思っていましたが、どうもこれだけではないような・・・。

AC関係の情報を復習してみると、「まだ、子供の頃の傷が癒えていないんだな」という気がしています。
「あの時は辛かった。本当は自分の気持ちを大事にしてもらいたかった。嘲られて、すごく惨めな気持ちになって悲しかった・・・・」

これまでも、思い出しては子供時代の自分を慰めてきたつもりでしたが、まだまだ足りてなくて、癒されていないのかも。

こう思うようになったのは、わんこ関係の整理をしていて、です。
辛いことがあった時、”過去の一ページ”になるには、自分で思っているのの何倍も時間がかかると今、体験中。
子供時代の辛かった気持ちは簡単には一区切りつかないよな…。

わんことの暮らしは楽しいこと、わんこがいてくれて嬉しかったことの方が圧倒的に多くて、わんこのおかげで頑張れたことも沢山ありました。
わんこが先に逝くことは迎える時から分かっていたけど、逝ってしまって一年以上経っても、未だにめそめそしています。三回忌ごろには”区切りがついた”と思えるかも甚だ心もとないです。


子供時代のことは、抑圧して封印していたので、その分傷も変形しているし、本来ならその都度ある程度はケアして、その上に体験を積み上げて自分を作っていくはずが、その過程も歪んでいるから生きづらいスタイルを身につけてしまっています。

当時の自分の気持ち(辛かった、悲しかった、見捨てられて心もとなかった・・・など)は確かにあった、と自分で認めてあげて、自分に”それは事実だ”と言ってあげること。
・・・・親には、感情を否定されたり、無視されたり、そういう風に感じるのはお前が愚かでおかしいからだと嘲られたりし続けたので、自分が何を感じているのか、いたのかも正直心もとないのです。
今、「あの時、すごく惨めだった」と気持ちを思い出せるエピソードは、余程インパクトある事件だけなのでしょう。

自分を居心地悪く・生きづらくしている反応パターンが見えたら、その都度修正する・・・これも簡単には変わらないので、何度も、違う角度からのアプローチを延々続けるしかありません。
お陰で、少しは生きるのが楽になったと思える時もあります。そうでない時もまだまだあります。

この二つ(過去の気持ちを認めて、自分で自分を慰める)と、(生きづらいパターンを修正するための試行錯誤)を一体いつまで続ければいいのか・・・。
具体的なイメージは湧きませんが、10年単位でかかるのかも・・・。時々、人生を投げ出したくなります。