シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

「孤独」のちから 諸富祥彦著

先日読んだ「孤独であるためのレッスン」の続編(実践編)ということで読んでみました。
前半は前著よりかなり分かりやすく孤独の必要性などを説明してあり、後半が実際に「深くひとりでいる」ためのスペースの見つけ方や、それでも「ひとり」が不安な人への考え方の提案になっています。

それでも「ひとり」が怖いあなたへ の章を読んで、「私はひとりに抵抗もない(これは以前から自覚あり)し、思っていたより自分の好きにやっているな~」と分かりました。
今は引きこもり専業主婦なので、煩わしい付き合いもないことが大きいですが、もともと気の進まない誘いには行かない・・・気が乗らないと人付き合いしないし、メールなども急ぎの用事がない時は、しばらく返事を保留にしたり(こっちがそうすると、相手もそうできて、お互い楽でいいと思う)、 いわゆる”世間”の価値観は、気にはなるけど、納得しないと従わないしな~。
自分の両親と絶縁とか、義母や義姉の法事に行かない(老犬が心配で)とか、やっている時点で多数派の感覚とはかなりずれてますね(^_^;)

世間の声って大抵が私でない誰かの利益のためだったり、別の人たち(多くの場合多数派)が嫌な現実などを見ないで済む(楽する)ための方便だったりで、本当に困っている人や弱者も含めてみんなが少しでも幸せになるための考えってわけじゃないと思うから。
世間の言うことの中で、自分で、「これは自分も含めた世のため、世界のためになるんだろうな~」という考えは受け入れるようにはしています。


自分と繋がりやすくする場は・・・う~ん。日ごろ日中一人だから、殆どの時間そうだ、と言えなくもないけどどうなんだろう。

この本を読んで、自分は、「自分と繋がる」ことをかなり大げさに考えているのかも・・・と思いました。
うまく言えませんけど。気になるイベントを見つけていくかどうか決める時、「本当に行きたいの?」と自問して、答えが見えたら決断する・・・程度のことも、”自分と繋がった”ってことだよな~。

今は一歩離れて自分を観察する立ち位置にいることを意識して生活してみようかな・・・と思います。
そのうち何か新しいものが見えてくる可能性を感じるので。


諸富さんの2冊を読んで、人間関係の中にいないと、自分が欠陥人間になっていく~だとか、増々不適応が酷くなる、と心配して、無理して世に出て行かなくていいや、と思えました。

物理的に他人と顔を合わせて言葉を交わす、同じ場所にいる、という意味では、パートを辞めてから引きこもり状態ですが、「自分にとって栄養になる人との接触(軽い会話でも)」と考えると、今も昔も”私にとっていい刺激”の量はさほど変わらないように思います。
職場は、私の場合は、投入するエネルギーや時間のわりに、この手の見返りは少なかったですから。
(もともとそういうことを主目的で行く場ではないですし)

友達とのやり取り、たまにすれ違ったわんこ仲間とのあいさつ+αや、ネットや本で読んだこと、インタビュー番組を見て、「ほ~っ」と感銘を受けたこと などの方が、一見表面的な浅いことでも、私には響くことが多い・・・気がします。
他人と一緒に活動する必要性はさほど高くないかも。