シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

否認の隙間から漏れてくるもの

先日の座禅会で会った人のことが強く印象に残ったままです。

最初は「両親は優しかった」と言ったけど、特に聞かれなくても、
「幼少期の最初の記憶は、母親に激しく怒られて泣いている場面」
「母親が死んだときはとてもほっとした」
と言いました。

そのあと質問されて、両親の性格(子供にとってはうれしくない面)を語っていました。
その場では、「優しかった両親」を裏付けるエピソードは出てきませんでした。

「両親は優しかった」は否認の入った思いなんだろうな。

ご本人は生きづらさが募っていて、無意識では、親へのネガティブな思いとか、親の自分への態度が要因で自分が生きづらくなったことをうすうす気づいていて、何とか解放されたいとも思っているのかな・・・座禅会に来たのも、何か手掛かりが欲しい魂の叫びなのかもしれない。・・・100%私の勝手な解釈ですけど。

最初の記憶が自分が怒られて泣いているところ、というのは暖かい思い出より、辛い思いをしたイメージが強いってことだろうし、
母親が死んでほっとしたというのも、言い方が(私の毒親嫌いフィルターが入っているせいもあるでしょうが)、
「母親が病苦から解放されてほっとした」
「自分が”親を看取る”務めを終えられてほっとした」 というより、
「嫌な存在がなくなって安心した」の「ほっとした」のニュアンスが強いように感じました。


常々思うのは、封印・否認するほどの辛い思いなら、無理に掘り起こす必要もないんじゃないか、ということ。精神が崩壊する危険があるから封印して自分を守ってきたわけですから。
ただ、この方のように、封印しきれなくなって漏れ出てくるようになったら、向き合うしかないんだろうな、とも思います。

講師のお坊さんは、30代後半になって、業(幼少期に身につけてしまった生きづらさ・心の癖。多くの場合は親の影響)と向き合うしかなくなる人が多い、と言っていました。
社会生活を続けたり、結婚・子育てなどを通して、行き詰ってしまうらしいです。

私もそうだったな~
思い返せば高校のころから違和感がありましたが、30前後には段々「表面的な自分の性格とか、状況が原因ではない何かがある」と感じ始めて、30代後半にはそれを無視できなくなりました。親への嫌悪感、自分の生きづらさが大きく立ち現れてきたといいますか・・・。



別の受講者は、親子関係の大きな課題は解決した(つもり)なのに、職場の人間関係ですごく悩んだ。
ということは、一つ大きな課題をクリアしても、次々苦しみがやってくるということなのでしょうか? と質問していました。

講師の返事は・・・
「自分では解決したつもりでも、表面的なものに留まっている場合もあります。それはなかなか自覚しにくい。」(ほかにもいろいろ言っていましたが、忘れました(^_^;))

私がまた働こうかと考えるのもこの辺があります。
親との問題は自分なりにかなり軽くなって、以前よりは、人あしらいも身についた気がしています。
まぁ、レベル1だったのが、2になった程度ですけど。
働くと必ず嫌な人がいるし、嫌な思いもするから、それを以前よりは上手く処理できるようになっているのか、やっぱり生きづらさが大きすぎて社会に出るのは難しいのか確かめたい。
確かめてから今後を決めたい。
これはやってみないと分からない、なんですよね・・・。


人それぞれ、いろいろな問題・課題を抱えているんだな~と思います。
座禅会で同席した人たちと直接話さなかったけど、何かできることをしたいと思って行動している人たちと同じ場にいるのは私にとっては心地いい。
励まされるし、いいパワーをもらえる気がします。

最初から、考えたり、試行錯誤することをばかばかしいことと否定している人もいますから・・・(私の父親)
何かしら成長しようとしていない人とは付き合いたくない。自分にプラスの刺激がないから。