シンプルライフへの遠い道

心穏やかな暮らしを目指して奮闘中

座禅会に行ってみた その2

毒親絡み(もちろん、講師の僧侶は”毒親”なんて単語は使いませんでした)の問題・・・親の影響で身につけてしまった、自分を生きづらくする心の癖への対処法のお話も。

自分のやり方でよかったんだと確認出来て、力をもらいました。

親の影響はそもそも自覚するのが難しいのと、根深いところに染みついてしまっているので、抜け出すのは難しいけれど、出来ないわけではない。

まずは自分が親の影響で身につけた生きづらさ・心の癖を持っていることを自覚する。
ちょっと離れて「あ~、またこの癖が出ている」と気づく。
気づく度に修正する。
                    これを延々と続ける。=修行  だそうです。

私もACな自分との付き合いではずっとこの方法です。
時間もかかるし、正直しんどいけど、一番効果があった気がします。というか、この方法しかない。
最初の「気付く」「気付いたことを事実として受け入れる」が一番の難関なんですけどね・・・。
見たくない自分の弱さや狡さを突き付けられるし、そもそも、自分をこの世に生み出した存在が、(彼らの無意識では)自分の不幸を願ってこういうことを言動を続けたから私はこうなった・・・なんて、認めるのはしんどい。

次の難関は「続けること」
変化を実感するには年単位の時間がかかるので、
  もう永遠に変われないんじゃないか?
  本当は変わる気はなくて、「変わりたい自分」に酔ってるだけ?
  しんどいから、不適応の引きこもりでいいよ、 になったり。
それでも気を取り直して続けるのも、しんどい。

しんどくても、この方法でいいんだ、と思えたのはうれしい発見でした。


自分の親が毒親だと気付く(認める)のは、やっぱりかなり難しいんだな、という経験もしました。
受講生の中に、最初は、「両親は優しかった」と言っていたのに、講師の僧侶とのやり取りが続く中で聞こえるエピソードは、典型的な機能不全家庭のもので、どう考えても「両親とも毒親」。
講師の僧侶が別の視点から見てみるように促しても、「母親は、かわいい人だった。存命中の父親には腹が立つこともある。」に留まっていました。
そうだよな~
他者の一言二言で簡単に認められることじゃないよな~

他人に親孝行しろと強要する人があまりに多いのは、自分の中の親への怒りや憎しみを自覚したくなくて、それを表に出している人が自分に影響して自覚させられて苦しむのが怖いからだと思います。



毒親関係ではいい刺激がありましたが、残念ながら、わんこロスの救いの道は見つからず・・・。
わんこロスは、わんこがいなくなってしまったことを受け入れることが出来ないでいる”煩悩”です。
でも、「今、私は”わんこが戻ってこないよ~”と煩悩にまみれているんだな。」と距離を取って観察して、この気持ちを流せるようになりたいわけじゃないから・・・。
わんこロスについては、瞑想的なアプローチじゃなくて、「自分の魂が納得するまで泣く」路線で行くことになりそうです。
それはそれでよし。私の人生だからね。(と、開き直る元気はもらってきたようです)